在日クルド人コミュニティーが内部変化して問題が顕在化するようになるまで(SPY-NE013)
はじめに
著者は、2000年代に埼玉県川口市や蕨市を中心とする在日クルド人コミュニティーに潜入調査して、多くの在日クルド人と交流しました。ただ、元諜報員(元スパイ)に課された情報保全規程に基づき、その詳細や特定につながる非公開の情報を明かすことは一切できません。
あくまでも、報道に基づく公開情報を根拠として、元スパイの視点から、昨今話題の在日クルド人問題の経緯と実情を論じます。これは、在日クルド人への差別と偏見を払拭し、彼らの生活と活動の適切な理解を促進することが目的です。
クルド人を含む在日外国人コミュニティーに潜在するリスクとは?
ここで、日本に外国人が移住することで想定されるリスクの存在を考えます。実は、外国人移住者によるリスクの顕在化の先例は、すでに欧州で明らかになっています。こうした先例を根拠として、日本でも遠くない未来に、移民問題が取り沙汰されるようになると想定されてきました。
欧州は、移民によって建国された米国とは異なり、移民の受け入れが本格化したのが、1950年以降のことです。それまでは、欧州各国から域外へ移住するのが通常でした。背景には、第二次世界大戦後における経済成長があり、深刻な労働者不足を補うために、アフリカをはじめとする域外から外国人移民を積極的に受け入れたのです。

欧州の統合と拡大に向けた動きが移民受け入れを加速させましたが、1970年代に入ると、移民増加に伴う失業率の増大や治安の悪化が、欧州各国で問題になりました。特に、文化も習慣も言語も宗教も異なる外国人が集まって定住することで、先住民である地元住民と日常生活上でトラブルや諍いが生じます。

それでも欧州への移民は止まる気配がなく、2000年代に入ると、フランス国内で移民問題に端を発する暴動が相次ぎ、2005年には大規模なパリ暴動が発生します。英国でも、同じ2005年に、移民したイスラム教徒による連続爆弾テロが発生し、ここに至って、欧州社会は、移民問題の深刻化と正面から向き合うことになりました。

日本においても、こうした事態が想定されるのは自然な流れといえるでしょう。在日クルド人が、他の在日外国人に先駆けて、最初のリスク顕在化のモデルケースとなりつつあります。
2010年代:国際テロリズムの台頭に端を発する新たな移民監視の始まり
2000年代は、国際テロリズムの脅威が台頭し、トルコ国内でも、クルド人国家の建設を目指すクルディスタン労働者党(PKK)やその分派組織「クルド解放の鷹」(TAK)がテロを実行していました。在日クルド人の中から、こうしたテロ活動への共鳴や支援が存在するおそれがあるとして、彼らは治安当局から監視されました。
2010年代に入ると、国際テロリズムの脅威が衰退し、主にイスラム教徒から成る在日クルド人への監視が緩和されるかと思われました。しかし、ここで「イスラムフォビア」(イスラム恐怖症)と呼ばれる観点から、新たな監視が始まります。
「イスラムフォビア」もまた、すでに欧州で先例があります。ごく一部のイスラム過激派がテロを引き起こしたにも拘らず、イスラム教徒全体に対する社会的な感情が悪化し、地元住民とイスラム移住者の間で軋轢が生じるという現象です。
在日クルド人に限ると、トルコ国内では、非合法化されたPKKとTAKがテロを断続的に実行しています。こうしたテロが報道されるたびに、イスラム教徒を主体とする在日クルド人に対し、日本人の社会的な感情が悪化して、差別や偏見が高まり、やがては軋轢が生じるおそれがあります。そして、最悪の場合、差別や偏見を受けた在日クルド人の中から、反日感情を募らせる者が現れ、日本人を標的とした無差別テロを引き起こすというシナリオが想定されます。
川口におけるクルド人問題は、こうした想定プロセスをゆっくりながらも着実に進めている可能性があります。

2010年代:拡大の一方を辿ることで内部変化する在日クルド人コミュニティー
数十年前から欧州が経験するプロセスに追随するかのように、日本においても2010年以降、トルコから新たな移住者の流入が止まりませんでした。コミュニティー規模の推移については諸説あって定かではありません。これは、在日クルド人といいながらも、国籍別ではトルコ人として扱われるため、公的資料で正確な統計値が把握できないためです。
ただ、毎年3月に埼玉県内で行われる「ネウロズ」の参加人数が、増加推移を示す一つの指標となります。「ネウロズ」は、2000年代では現在と異なり、公民館施設に在日クルド人たちが集まって祝う屋内開催が主流でした。川口市内や蕨市内の公民館の収容人数は、最大で200人程度であるため、参加人数もその範囲に収まっていたと考えられます。
しかし、2010年代に入ると時期不明ですが、公園施設を借り切った上での野外開催へ移行しており、これは、参加者数が公民館の収容人数を超えたためとみられます。『日経ビジネス』電子版の2016年4月21日付け記事によれば、2016年3月に蕨市民公園で行われた「ネウロズ」には、全国から約1000人の在日クルド人が集まったとされます。参加者の大半は、地元である川口市や蕨市に在住するクルド人と考えられるため、埼玉県内に居住する在日クルド人の増加が顕著なことが分かります。

こうした増加推移から、2010年代は、1990年代や2000年代に来日したクルド人の合計人数を上回るレベルで、クルド人が国外から新規に来日したことがうかがわれます。つまり、コミュニティー内部では、来日して10年や20年になる古参のクルド人よりも、来日して10年足らずの新参のクルド人の方が多数派になったということです。
故に、在日クルド人コミュニティーは、構成者の顔ぶれが大幅に変わることで、内部に変化が生じます。

2010年代:問題が徐々に顕在化する在日クルド人コミュニティー
人間による社会や集団の中では、古代エジプトの俗説があるように、決して避けて通れない世代間ギャップという現象が存在します。それは、在日クルド人コミュニティーも例外ではなく、在日クルド人は2010年代に入って、本格的な世代間格差に直面します。
来日して数十年になる古参クルド人は、日本の習慣や文化に馴染んでおり、日本語を流暢に話して、外国人慣れしていない地元住民と建設的な関係を構築する術を身につけています。彼らは、クルド人がほとんどいない頃から、少数派の外国人として日本に定住を始めたこともあり、環境に適応しようとする積極性を有していたためです。

しかし、来日して10年に満たない新参クルド人は、日が浅いこともあって、日本の習慣や文化に馴染みがありません。さらに、埼玉県内には、すでに1000人規模のコミュニティーが形成されており、トルコから来日してその中に加わることで、同胞に囲まれた生活や仕事が可能です。地元住民と交流する機会に乏しくなり、日本語を覚える機会もなく、そもそも地元住民と建設的な関係を構築する必要もありません。
故に、新参クルド人は、トルコ国内のクルド人地域に住んでいるような感覚で、日本に住み着くことができるのです。こうなると、新参クルド人の中には、日本の文化や習慣を半ば無視して、クルド人地域の事情や問題を日本国内へ持ち込む者が現れます。
やがて、トルコ国内におけるクルド人問題が、日本国内で顕在化する事案が発生します。

2010年代:トルコ大使館前で発生したトルコ人とクルド人による乱闘事案
2015年10月25日、東京都渋谷区に所在する駐日トルコ大使館では、トルコ国内の総選挙における在外投票が行われていました。大使館前には、投票するために、約500人の在日トルコ人とトルコ国籍である在日クルド人が集まっていましたが、双方の間で乱闘が発生し、負傷者が出ました。きっかけとなったのは、クルド人の一部がクルドの旗を掲げて、トルコ人を「テロリスト」と名指しし、これにトルコ人の一部が反発したこととされています。
乱闘に至った原因がトルコ人側にあったのか、それともクルド人側にあったのかは、未だに不透明なままです。ただ、トルコ人とクルド人が互いを敵視して乱闘を引き起こしたことは事実です。
これは、トルコ国内で深刻化するクルド人の分離独立問題が、日本国内へ持ち込まれることで、報道レベルの騒擾事案に発展した最初の事例とみられます。クルド人が来日するようになって20年以上が経過しましたが、それまでは、クルド人の分離独立問題が日本国内で表面化した事例は報道上で確認されていません。古参クルド人は、日本国内の生活や仕事に追われる日々であり、トルコ国内の政治的な主張を日本で展開する余裕に恵まれていませんでした。
しかし、新参クルド人は、在日クルド人コミュニティーの中で生活や仕事にありつくことができ、その分、政治的な主張を日本で展開する余裕に比較的恵まれていたといえます。こうした新参クルド人の一部が、日本国内の事情を顧みることなく、大使館前でクルドの旗を掲げて分離独立を訴えるという明らかな政治活動を行うに至ったかもしれません。古参クルド人にしてみれば、母国の政治問題を日本で表面化させた新参クルド人に対しては、必ずしも共感できません。
在日クルド人コミュニティーは、世代間ギャップが生じることで、内部が世代間で分裂する様相を呈します。
一方、日本社会は、ここに来て、遠くトルコの政治的な問題が、一部の在日クルド人によって国内治安に不安を引き起こす事態を経験したのです。思い返せば、今日のクルド人問題の原点がこの乱闘事案に始まったと言えるでしょう。

2010年代:在日クルド人による難民認定問題が表面化
内部分裂を生じつつあった在日クルド人コミュニティーは、母国の政治問題に続いて、難民認定問題についても、日本社会で表面化させていました。
そもそも、在日クルド人の難民認定は、2000年代から政府内部で問題視されていました。きっかけは、2005年1月に、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)日本事務所が難民と認めた在日クルド人2人が、東京入国管理局によって収容され、トルコへ強制送還されたことです。在日クルド人の一部が抗議活動を行い、クルド人に対する政府の取り扱いが報道上で問題視されることで、クルド人の難民認定問題が初めて公になりました。
しかし、こうした事例は、一過性のように報じられるにとどまり、今日のようにクルド人問題が日本社会の一部から不安や反発が生じるレベルにまで至りませんでした。そもそも、2000年代は、埼玉県内で「ネウロズ」を開催するようになって日も浅い程度にコミュニティーが小規模です。在日クルド人の大半は、自分たちが難民として認定されるよりも、日本国内の生活と仕事を安定化させることで手一杯でした。
ただ、2010年代においてコミュニティーの規模が拡大し、在日クルド人の間に古参と新参の世代間ギャップが生まれると、新参クルド人たちは、自分たちが難民として認定されることに関心を寄せるようになります。2015年には、トルコ国籍の在日クルド人によるとみられる難民認定の申請件数が急増して約1000件となり、これは、2015年における在日外国人の国籍別の申請件数で上から三番目となります。
時期を同じくして、2015年には、駐日トルコ大使館前で、クルド人問題の政治的主張をめぐって乱闘事案が発生しています。これは、決して偶然の一致ではなく、2015年は、在日クルド人コミュニティーの規模と内情が、日本社会にとって無視できないレベルにまで達し、難民認定と分離独立という世界各地のクルド人が抱える二大問題が日本国内においてもついに噴出しました。
日本人は、かつての欧州のように、在日クルド人という事実上の移民問題と正面から向き合うことになったのです。

2020年代:在日クルド人と地元住民との軋轢発生と差別・偏見の始まり
2020年代に入ると、在日クルド人をめぐる問題はいよいよ、難民認定や分離独立の範囲にとどまらなくなります。難民認定や分離独立と関係のない日常生活において、在日クルド人が関与するトラブルが発生すると、これが報道されたり、SNSを通じて拡散するようになります。こうして地元住民の知るところになり、中には、在日クルド人に対する恐怖や不安を感じる住民もいます。
こうした経緯の中で、2023年7月に、埼玉県川口市内の病院前で在日クルド人約100人による乱闘事案が発生します。きっかけとなったのは、難民認定でも分離独立でもなく、男女間のトラブルであったとされます。
メディアによって繰り返し報道され、SNSを通じて話題になることで、地元住民の恐怖と不安が一層高まり、SNS上では、外国人ヘイトとみられる反応が集中します。こうして、川口クルド人問題という形で定着し、日本の治安上で無視できないレベルになったのです。

以 上



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