2025年04月:二重スパイの底知れぬ恐怖:底なしの人間不信と疑心暗鬼を密かにもたらす「二重スパイ」とは?

スパイニュース解説記事

底なしの人間不信と疑心暗鬼を密かにもたらす「二重スパイ」とは?(SPY-NE028)

「冷戦史上で最大の二重スパイ」が逝去

 3月21日、英国と旧ソ連の「二重スパイ」であったオレグ・ゴルジエフスキーが、亡命先の英国で逝去しました。

 ゴルジエフスキーは、旧ソ連で生まれ、秘密警察の「国家保安委員会」(KGB)で国内外のスパイ活動に従事しました。1968年に、「プラハの春」と呼ばれる東欧の民主化運動が、祖国のソ連から弾圧されると、KGBに在籍しつつ、英国の秘密情報部(MI6)に協力を始めました。両国の間で、東西冷戦の緩和に向けた情報提供を続けたとされ、その功績は『KGBの男 冷戦史上最大の二重スパイ』と題された伝記で語られています。

二重スパイとは何か

 「二重スパイ」とは、複数の国家や政府機関に協力して情報提供する者を指します。

 近代国家では一般的に、スパイは国家公務員に当たり、国家とその下部組織である政府機関に所属します。国家公務員である以上、他国の公務員を兼ねるなどことは許されず、一つの国家に所属します。一つの国家に所属する以上、同一国家内であっても複数の政府機関に所属できず、特定の政府機関1か所に所属するほかありません。

 故に、国家公務員が複数の国家や政府機関のために仕事することは制度上あり得ません。しかし、国家公務員でありながら、時には、複数の国家や政府機関に事実上所属してしまうのが、スパイという仕事です。

二重スパイの発祥

 二重スパイという概念が歴史上に現れたのは、17世紀の英国で起こった清教徒革命と言われます。

 前近代のスパイは組織化されておらず、封建領主の臣下の一人であり、スパイは個人の雇用主のために活動していました。戦争、内戦、革命など波乱に満ちた時代では、スパイの活躍の場がありましたが、封建領主の間の対立構造が限定的であり、単純でした。スパイの長い歴史においても、二重スパイの記録が確認されるのは、近代の到来が近い17世紀の清教徒革命です。

 近代に入ると、スパイの雇用主は個人から国家となり、スパイが集められて組織化されます。近代国家が集まって二度の世界大戦が行われると、国家間で広範な対立構造が生じるようになりました。これにつれて、スパイの活躍の場も飛躍的に広がり、敵のスパイを寝返らせたり、味方のスパイが敵に寝返るなど、スパイ活動が複雑化します。

 その中で、二重スパイという複数の雇用主を持つという現象が生じました。

歴史に名を残した二重スパイたち

 東西冷戦が始まると、ゴルジエフスキーをはじめとして、数々の二重スパイが誕生しました。二度の世界大戦と異なり、米国もソ連も核武装しているため、おいそれと戦争を直接行うわけにはいきません。朝鮮半島やベトナムなど東西陣営の代理戦争が主体となり、その一環で、スパイ合戦が続きました。東西冷戦が終結してもその余波は収まらず、二重スパイは暗躍しました。

 例えば、ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)に所属しながら、1962年のキューバ危機で、ミサイル配備に関する情報を米国に提供したオレグ・ペンコフスキーがいます。危機の最中に、発覚し、極刑に処されています。

 キム・フィルビーは、「ケンブリッジ・ファイブ」と呼ばれるエリートの二重スパイの一人です。英国秘密情報部(MI6)に所属しながら、そのスパイ活動をソ連に情報提供していました。その情報が秘匿性の高いものであったために発覚し、後にソ連へ亡命します。MI6史上最悪の二重スパイと評価されています。

 オルドリッチ・エイムズは、米国中央情報局(CIA)に所属しながら、そのスパイ活動をソ連に情報提供しました。幹部として組織内部の秘密情報を知り得る立場にあり、9年間にわたって情報漏洩を続けた結果、逮捕されています。CIA史上最悪の二重スパイと言われることがあります。

 ロバート・ハンセンは、米国連邦捜査局(FBI)に所属しながら、ソ連のスパイ活動を摘発していましたが、その摘発情報をソ連に情報提供していました。上述のエイムズ逮捕後も、情報漏洩が続いたことで発覚し、逮捕されます。

スパイ稼業は二重スパイと表裏一体

 スパイの最優先事項は、所属する国家が戦争に勝利できる高度情報を入手することです。戦争である以上、戦争相手となる敵国が存在しており、その内情を探る必要があるため、敵対者と接触して協力を取り付けねばなりません。

 協力内容は、自らの所属国や所属組織に関する情報を、敵対者であるスパイに提供する性質にならざるを得ないため、裏切りをそそのかすこと以外の何物でもありません。つまり、スパイの仕事は、「人間の人間による人間のための裏切り」を取り扱うことです。

 スパイの日常は、裏切りと裏切りのための嘘に満ちた日々となります。その中で、スパイの中には、裏切りや嘘へのネガティブな感覚が麻痺してしまい、裏切りを抵抗なく受け入れる者が出ます。敵対者を裏切らせることも、味方を裏切ることも本質的に同じように思えてしまい、その区別がつかなくなります。やがては自分が所属する組織を裏切って、敵対組織へ駆け込んでしまいます。

 一部のスパイが二重スパイになってしまうのは、仕事の性質上でやむを得ないとも言えます。

なぜスパイは二重スパイになるか

 東西冷戦以降は、二重スパイの事例が後を絶ちません。過去の事例からは、二重スパイが発覚すれば、最悪の場合は粛清のために極刑に処され、良くて逮捕されて残る生涯を刑務所で過ごすことになります。二重スパイの中には、敵国へ亡命して余生を過ごす者もいますが、これは、発覚直後に国外逃亡できた場合に限られます。たとえ亡命できたとしても、かつての所属組織が送り込んできた工作員に粛清される者もおり、恐怖と不安に満ちた日々になります。

 二重スパイは必ずしも割りが合うものでありません。それでも二重スパイになってしまう動機とは何でしょうか。

理由その1:スパイの仕事に疑問を募らせるスパイ

 嘘をつくことは法律的にも倫理的にも宗教的にもあらゆる社会的な観点で禁じられます。しかし、スパイの仕事は、虚偽と詐術を駆使して敵も味方も欺くことが求められます。

 国際社会では時に、ルールを踏み躙り、数々の嘘をついて、他者への暴力すら許される無秩序が存在するからです。その中で、ルールを守り、嘘をつかず、暴力を否定することは、国家と国民が重大な不利益を被ることすらあり得ます。

 こうした事態に陥らないよう戦争と軍隊が必要とされ、スパイは、あらゆる手段を講じて戦争勝利のための高度情報を集めねばなりません。その重要性を考慮すれば、あらゆる虚偽や詐術を駆使することが許容されるどころか、むしろ無制限かつ積極的に行使されるべきです。

 しかし、スパイも「人の子」であり、嘘をつくよう教育されて育った子供はいません。当ブログの「スパイの向く人向かない人」で解説したように、スパイは個人の適性に左右される仕事です。特に、正義や道徳に基づく理想に囚われるタイプや、多くの人から注目や賞賛を受けたいタイプは、スパイに不向きです。

 不運にもこうしたタイプがスパイになり、あらゆる虚偽や詐術を行使するよう指導されると、現実と理想の狭間で苦しむことになります。スパイ個人の理想と所属国家の目的が乖離した場合は、スパイという仕事自体に絶望してしまいます。

 例えば、「冷戦史上最大の二重スパイ」と謳われるゴルジエフスキーは、祖国が「プラハの春」で民衆弾圧したことに失望し、敵対陣営への協力を決めたとされます。二重スパイを続けながら、東西陣営の架け橋となるため、対立緩和に貢献する情報を祖国と敵国に流したとされます。

 こうして生じた心の隙間に、敵対者から寝返りを意図した工作が仕掛けられると、正義と理想のために祖国を裏切るよう説得されてしまうスパイがいるわけです。

理由その2:情報機関の待遇に不満を募らせるスパイ

 情報機関も人間による組織である以上は、上司が部下を評価して、昇任や昇給といった待遇が定められます。人間が人間を適性に評価することは依然として、いかなる手法も確立されておらず、数多くの歪みが存在します。組織からの評価を過小と感じたり、他の者が高待遇を受ける不公平に不満を募らせることは典型的です。一般的には、こうした不満の受け皿が組織外部に存在しておらず、組織に深刻な影響を与える可能性は低いでしょう。

 しかし、スパイが所属する情報機関は、明確な敵を有しており、常に敵対行動に晒されています。スパイの仕事が敵を寝返らせることであれば、逆に、いつ自分が寝返らされるか分からないという表裏一体なのです。

 スパイは、自組織からの評価に不満を募らせつつ、敵対者と接触して敵組織からの寝返りを打診するというある種の矛盾に直面することがあります。こうした矛盾は、接触時の雑談などを通じて徐々に敵対者の知るところになり、逆に寝返りを打診されてしまいます。「ミイラ取りがミイラになる」典型例と言えますが、不満を解消するくらいの待遇が敵組織から保証されると、自組織から高待遇を約束されないことも相まって、祖国を裏切るよう説得されてしまうわけです。

 例えば、エイミズは、東西冷戦の末期にCIAに所属しながら、ソ連側に情報を流した二重スパイの一人です。浪費癖のために組織からの待遇に満足できず、金銭目当てで敵対者に情報を売りに行ったとされます。

理由その3:名声と富を高望みするスパイ

 スパイの仕事は、国家の戦争勝利に向けた高度情報を入手することで、国家を超えて世界中に影響を与えかねないものです。ただ、こうした功績に見合う待遇が必ずしも与えられるとは限りません。

 例えば、ペンコフスキーは、1962年のキューバ危機で、ソ連のミサイル配備を決定付ける情報を西側陣営にもたらしました。キューバ危機は世界が核戦争に最も近付いた出来事と言われ、その深刻さを決定的にしたという意味で、典型的な高度情報に当たります。

 西側情報機関には、この高度情報を入手したスパイが存在しているはずです。その功績を認められて相応の待遇が与えられ、例えば最高幹部への昇任や可能な限りの高給が約束されたはずです。ただ、スパイと言っても国家公務員に過ぎず、昇任や昇給には限界があります。政府機関の最高幹部とは、民間企業で言えば役員待遇に相当しますが、給与体系や報酬額で言えば、営利企業である民間企業に比べたら、金銭的に劣らざるを得ません。

 スパイとして最高限度の立身出世を以てしても、待遇に不満を募らせることはあり得ます。こうして生じた心の隙間に、敵対者から寝返りを意図した工作が仕掛けられると、目も眩む大金を提示されて祖国を裏切るよう説得されてしまうスパイがいるわけです。

二重スパイが引き起こす特徴:人間不信と疑心暗鬼

 二重スパイの恐ろしさは、あらゆる人間不信と疑心暗鬼をもたらすことにあります。スパイの仕事は、あらゆる虚偽と詐術を駆使して敵対者と接触し、情報提供という協力を引き出すことにありますが、これは、背後に信頼できる組織と味方がいてこそ成立します。

 仮に、明確な敵が正面にいるのに、背後にまで潜在的な敵が存在したら、どうなるでしょう。スパイが駆使するあらゆる虚偽と詐術は、国家と組織に対する信頼が基盤にあります。虚偽と詐術を用いる基準は、こうした信頼に応えることができるかで定めねばならず、これが失われたら、何が事実で何を虚構とするか判別できなくなります。

 例えば、日本初のスパイ教育機関で知られる陸軍中野学校では、「謀略は誠なり」という校訓がありました。誠という信用を尽くす精神があって初めて、国家や組織のための謀略が成り立つと考えられたのです。

 背後の国家と組織にまで敵が隠れているとしたら、スパイは、敵はもちろん、味方まで信じることができなくなります。実際、二重スパイとは、味方の中に潜在する敵であり、敵対者に誰がスパイなのかを通報することがあります。そして、敵地に潜入していたスパイが逮捕され、処刑されることも珍しくありません。

 例えば、上述のエイミズは、所属組織のスパイに関する情報をソ連に売り渡し、敵対組織の内部の協力者が少なくとも10人が処刑されました。こうした裏切り行為は10年近くに及び、その間は、命を賭けて任務を遂行したスパイたちが犠牲になったわけです。

 敵味方関係なく、裏切り者が存在すると仮定したら、人間不信と疑心暗鬼に陥らざるを得ません。

一見無能で取るに足らない人物こそ最も恐ろしい

 二重スパイは、長年にわたって、国家と組織に対する裏切り行為を続けます。その疑いが生じても容易かつ迅速に断定できないまま、時が経過するからです。

 例えば、エイミズは新人スパイ時代に、組織や上司からの評判が低く、優秀なスパイと見られていませんでした。故に、周囲から、はやがて組織史上で最悪の二重スパイになるなど到底想像できません。結果的に、無能を理由とした存在の軽視が、巧妙な偽装に結びついたのです。

 そもそも人間心理としては、周囲から優秀で評判の良いと見られたいのが一般的であり、無能者と軽視されたい者はいません。無能者と軽視される者がいれば、その者に十分な注意を払わないことは自然です。

 それでは、無能な自分を敢えて演出する者がいたとして、重大な裏切り行為に加担していたらどうでしょうか。あなたは、誰に裏切られたのか皆目見当がつかないまま、気が付いたら、絶望の淵へ突き落とされてしまうでしょう。

二重スパイに長けたタイプこそ警戒すべき

 二重スパイとして裏切りを続けた者には、善良かつ優秀で評判が良かったり、逆に愚鈍かつ無能で評判が悪かったりと、両極端な評判が見受けられます。こうした者こそ、あなたを裏切るおそれがあると疑っておくべきでしょう。可能であれば、距離を取り続けて近づかないことです。

 社会的に名声や人望に篤く、金銭的、物質的そして精神的な豊かさを有するという評判は、裏切りを隠す最悪の偽装になり得るのです。著名人の中に、二重スパイのような裏切り者が潜んでいることは珍しくありません。その逆も同様です。

 両極端な評判を有することなく、平凡な評判に終始する人こそ、意外と安心と信頼を置ける存在かもしれません。

以 上

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