敗戦国日本の二度目の敗戦を表面化させたスパイ容疑拘束(SPY-NE025)
- ベラルーシでスパイ容疑で拘束された日本人が長期収監のおそれ
- スパイ容疑で拘束された日本人の長期収監は中国に次いで2か国目
- スパイ容疑で拘束された日本人の早期帰還に向けた日本政府の取組は?
- ベラルーシでスパイ容疑で拘束された米国人の釈放
- 東西冷戦中で行われたスパイ容疑で拘束された外国人の身柄交換
- 冷戦後に英国とロシアが繰り広げたスパイ合戦
- 近年においても東西冷戦後で最大規模となるスパイ身柄交換が実施
- スパイの身柄交換という国際社会の暗黙の紳士協定
- 日本とは外国スパイの身柄交換が成立しない
- 敗戦国の日本が再び敗戦に直面する国際諜報戦
- 「スパイ防止法」に向けた法整備が一層加速する可能性
- 「スパイ防止法」の雛形となり得る経済安全保障法制
ベラルーシでスパイ容疑で拘束された日本人が長期収監のおそれ
報道によれば、3月17日に、東欧ベラルーシで、2024年7月にベラルーシ国内でスパイ容疑で拘束された日本人に対し、禁錮7年の判決が下されたと発表されました。

判決では、2018年から2024年までの間、ベラルーシの安全保障を加害する目的を有して、同国内で外国の「情報機関」などに協力したとされます。
1月10日に、初公判が開かれましたが、非公開であり、いかなる証拠に基づいて判決が下されたのか不透明なままの有罪判決となりました。刑が確定されるかは現時点で不透明ですが、現時点では、長期間にわたって収監される見通しです。スパイ容疑を掛けられて拘束されることのリスクがより明白になりました。
スパイという存在は、我々にとって非日常的な存在であり、エンタメコンテンツに登場するフィクションに近い感覚です。それが、なぜ現実的なリスクとして我々に降りかかってきたのでしょうか。

スパイ容疑で拘束された日本人の長期収監は中国に次いで2か国目
日本人がスパイ容疑で長期間にわたって拘束されるのは、ベラルーシが最初ではありません。すでに、中国では、2014年に「反スパイ法」という法律が制定されてから2023年まで、日本人17人以上がスパイ容疑で拘束されました。そのうち、少なくとも3人が2025年現在でも収監されたままです。ベラルーシは、日本人がスパイ容疑で長期収監されるという事態が生じた点で、2か国目となります。
ベラルーシでは、昨年12月にも、新たに日本人1人がスパイ容疑で拘束されており、中国とベラルーシを合わせると、これまで海外でスパイ容疑で拘束された日本人は、少なくとも19人に上ります。

スパイ容疑で拘束された日本人の早期帰還に向けた日本政府の取組は?
日本政府は、日本人のスパイ容疑による拘束という事態に対し、外交ルートを通じて、拘束者と面会したり、その早期解放を相手国政府に働きかけるなど取り組んできました。
中国でスパイ容疑で拘束された日本人のうち、こうした働きかけによって身柄を解放された事例もありますが、大半は、起訴されて有罪判決を受け、長期収監されています。日本政府の解放に向けた取組みが続いていますが、効果的な成果を上げられていません。有力な手段がなく、手詰まりという印象すら受けます。

ベラルーシでスパイ容疑で拘束された米国人の釈放
今回の有罪判決に先立つ2月12日に、米国政府は、ベラルーシ国内で拘束されていた米国人1人を含む3人が釈放されたと発表しました。併せて、ロシア国内で拘束されていた米国人1人も釈放されたとしました。これは、米国内で拘束されていたロシア人1人の釈放と交換条件に行われたとのことです。
ベラルーシでは、日本人がスパイ容疑で起訴されて有罪判決を受ける一方、米国人の場合は、起訴されないまま釈放されており、対照的な取扱いです。ベラルーシのみならず、ロシアにおいても、拘束されていた米国人が釈放されており、水面下では、米国とロシア・ベラルーシとの間で交換条件が成立していたとみられます。
つまり、自国内で拘束しておいたロシア人を釈放すれば、ベラルーシで拘束されている自国民の釈放につながるということです。ベラルーシとロシアは、別の国ですが、共通した一つの事情で結ばれています。
互いに相手国の国民を拘束しているならば、身柄交換という形で釈放が実現するある種の取引が存在するのです。

東西冷戦中で行われたスパイ容疑で拘束された外国人の身柄交換
身柄交換という取引は、今に始まったことではありません。1950年代から始まった東西冷戦では、米国とソ連が互いにスパイを送り合い、両国内でスパイが拘束されることが絶えませんでした。故に、両国とも、相手国のスパイを拘束しておくとともに、拘束された自国のスパイを救出する必要がありました。敵国で拘束されたスパイを救出する手続きを用意しなければ、自国のスパイ活動におけるモチベーションが低下するからです。
ドイツが東西に分裂していた時代に、西側の西ベルリンと東側の東ドイツを結ぶグリーニッケ橋の上では、米ソ間でスパイの身柄交換が行われました。「スパイ橋」と呼ばれ、東西冷戦におけるスパイ合戦を象徴する場所であり、スピルバーグ監督の映画『ブリッジ・オブ・スパイ』ではロケ地となりました。

冷戦後に英国とロシアが繰り広げたスパイ合戦
東西冷戦の終結によって、米ソ間のスパイ合戦も終わりました。しかし、スパイによる諜報活動が世界から消失したわけではありません。
二度の世界大戦と東西冷戦を経て、国際社会は、戦争に勝利するために、スパイを他国に送り込んで情報収集や諜報工作を行わせるというメカニズムを確立させました。東西冷戦後には、敵国のスパイを亡命させて寝返らせたり、裏切って敵国へ逃げ込んだスパイを粛清したり、複数の国家に従う二重スパイが誕生するなど、スパイ合戦は複雑化します。
特に、西側諸国の英国と、旧東側諸国のロシアの間では、東西冷戦後においても水面下で苛烈なスパイ合戦が繰り広げられています。
例えば、2006年に、旧ソ連の秘密警察で知られる国家保安委員会(KGB)に所属していたアレクサンドル・リトビネンコが、亡命先の英国ロンドンで不審死しました。りトビネンコは、1998年に、ロシア国内で、政治家暗殺を指示されたと告発したことで政治弾圧を受け、2000年に英国へ亡命しました。英国は、リトビネンコがロシア諜報機関を裏切ったスパイであることから、その身柄を保護していました。死因が毒物によるものと判明すると、英国は、ロシア諜報機関の関与を疑っていますが、ロシアはこれを否定しています。
2018年には、英国とロシアの二重スパイであったセルゲイ・スクリパリが、英国内で意識不明の重体で発見されました。こちらもロシアの関与が疑われています。

近年においても東西冷戦後で最大規模となるスパイ身柄交換が実施
こうしたスパイ合戦の複雑化に加えて、スパイの身柄交換も多国籍化することで規模が大きくなっています。東西冷戦中の身柄交換は、米ソの二国間対立であったため、スパイの身柄交換の当事者も米国とソ連に限定されました。
しかし、東西冷戦後は、米国やロシアの同盟国と友好国まで加わることで、スパイの身柄交換は、当事者の数と交換人数の点で、過去最大を更新します。
例えば、2010年に、米国とロシアの間では、ロシアで拘束中のスパイ4人と米国で拘束中のスパイ10人と身柄交換されました。これは当時、東西冷戦以降としては最多のスパイ身柄交換として注目されました。東西冷戦の終結から約20年が経過しており、身柄交換されたスパイは、冷戦後においてもスパイ活動に従事していたとみられます。
2024年8月には、米国をはじめとする西側諸国とロシアなど7か国の間で、合計24人の受刑者の身柄交換が行われました。7か国という当事者の多さから、東西冷戦以降における最大規模のスパイ身柄交換とされます。
諜報戦が、二国間対立から多国間対立による国際諜報戦へ拡大している現状が浮き彫りになりました。

スパイの身柄交換という国際社会の暗黙の紳士協定
背景には、国際社会が東西冷戦におけるスパイ合戦を経て、スパイの身柄交換を実施するという暗黙の紳士協定を事実上成立させたことがあります。
世界各国の間では、互いにスパイを送り込むことがある種の公然の秘密となっています。他国がスパイを送り込んできて、自国内のどこかに潜伏していることを前提として、スパイ摘発に常時取り組まねばなりません。逆に、スパイを他国に送り込んで情報収集と諜報工作をしなければ、国益を確保することが困難でもあります。
こうして、やられたらやり返す、やるならばやり返されると覚悟する、という古代ハンムラビ法典にある「目には目を、歯には歯を」の論理が一層鮮明になりました。これは、外交上で「相互主義」とも呼ばれます。
スパイの身柄交換は、各国間の外交交渉における議題の一つとして、駆け引きが常態化せざるを得ないのです。

日本とは外国スパイの身柄交換が成立しない
それならば、日本もこうした駆け引きに加わる必要があります。実際、海外では、日本人が「スパイ容疑」で拘束されており、拘束理由が「スパイ容疑」とされる以上、スパイの身柄交換という観点で交渉が求められます。さもなければ、拘束した当事者にとっては、釈放する理由がありません。
交渉するに当たって問題になるのは、日本では「スパイ防止法」が整備されていないことです。スパイの身柄交換においては、当事者のスパイを「スパイ容疑」で拘束しておくことが交渉材料となります。しかし、「スパイ防止法」が未整備である以上、いかなる外国人も「スパイ容疑」で拘束できません。刑法など現行法令を最大限活用して、「スパイ活動」を摘発することは可能ですが、その逮捕理由や起訴事由は「スパイ容疑」にならず、一般的な刑事事件として立件するほかありません。
これでは、「スパイ容疑」で拘束したと言えないため、スパイの身柄交換を取引するための交渉材料になりません。

敗戦国の日本が再び敗戦に直面する国際諜報戦
日本で「スパイ防止法」の整備が進まなかった背景には、第二次世界大戦の敗戦があります。そもそも「スパイ防止法」とは、「情報機関」が収集した情報を、他国のスパイに奪われないようにする法律です。「情報機関」の最優先事項は、国家が他国と戦争して勝つための情報を入手することです。
しかし、戦後日本は、軍国主義による侵略戦争を反省し、平和主義に立って、憲法で戦争と軍隊を否定しています。こうした中で「スパイ防止法」を制定すれば、他国との戦争を準備するために情報を収集しているとの批判を免れません。特に、日本に侵略された中国、北朝鮮そして韓国は、日本の戦争準備と捉えられかねない政策や立法に敏感です。

故に、日本は現時点で、スパイの身柄交換という国際的な駆け引きに参加する余地がありません。これは、中国やロシアをめぐって国際諜報戦が多国間に拡大する中で、日本人が一方的に「スパイ容疑」で拘束されることを意味します。
要するに「目には目を、歯には歯を」が半ば当然の国際諜報戦で、一方的にやられっぱなしの敗北を喫するのです。これは、国際的に孤立し、世界各国から軍事的に叩きのめされた第二次世界大戦の敗戦を彷彿とさせます。

「スパイ防止法」に向けた法整備が一層加速する可能性
中国やベラルーシで「スパイ容疑」で拘束中の日本人が早期帰国する見通しは立ちません。
2023年3月に、中国で、アステラス製薬の日本人社員1人が拘束されてから2年が経過しました。現時点でも、日本人5人が「スパイ容疑」で拘束されて帰国の目処が立ちません。ベラルーシでも日本人2人が「スパイ容疑」で拘束されたままです。
国際諜報戦は拡大する一方であり、中国やベラルーシ以外の関係国においても、新たに日本人が「スパイ容疑」で拘束される可能性は否定できません。いかに戦後日本の方針とはいえ、「スパイ防止法」の未整備が、国民の生命と安全に直接かつ明白な危険を及ぼしつつあります。
事態が悪化すれば悪化するほど、日本国内では「スパイ防止法」の法整備に向けた議論が高まるかもしれません。

「スパイ防止法」の雛形となり得る経済安全保障法制
2022年には、経済安全保障推進法と重要土地等調査法が制定されました。これらは経済安全保障法制と総称されます。
その中には、米軍基地や防衛関連施設などの周辺における土地の利用状況を調査し、必要があれば利用を規制する規定があります。表向きは、不動産取引という経済的な観点から安全保障が図られた法律ですが、各国の軍事基地周辺でスパイ活動を活発化させる中国が念頭に置かれています。
実は、日本においても、「スパイ防止法」に向けた法整備がすでに始まっています。法律にスパイの名称を付けず、スパイ行為について明示的に規定しないまま、事実上は「スパイ行為」に対する抑止を図るわけです。
今後は、経済安全保障法制の枠組みを拡大し、「スパイ行為」に関する規定を盛り込んでいけば、「スパイ防止法」と何ら変わらない法律へ生まれ変わることも可能です。

これで他国のスパイを「スパイ容疑」で拘束することができるようになり、スパイの身柄交換に加わることが可能となります。第二次世界大戦で敗戦した日本が、国際諜報戦で表面化しつつある二度目の敗北を挽回するチャンスとなるでしょう。

以 上



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