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情報リテラシー向上
人生を容易かつ有利にする情報リテラシーの向上へ
「元スパイ・クマさんのあると得する情報リテラシー」
- はじめに(Introduction)
- インターネットが普及して手軽に情報アクセスが可能な時代
- 情報が人々の脳内に無秩序かつ恒常的に流入して情報過多が常態化
- 情報が溢れていついかなる不利益を被るか分からない状況
- 知識と同様又はそれに近いレベルにまで可視化して情報リテラシーを向上させることが必要
- 情報の本当ウソを判断するためには、いかなる情報に対しても、①出所確認、②整理整頓そして③評価の3点を当てはめる
- ①出所確認とは?
- ②整理整頓とは?
- ③評価とは?
- 本当やウソという社会的な認識自体が誤っており、情報のプロが考える「本当」と「ウソ」を知ることが必要
- 情報の信ぴょう性を判断できれば、日常生活で詐欺に遭遇したり、相場より高い商品を買わされるどころか、むしろ割安な商品を安全に買うことができるようになる
- 究極的には人生の節目で、情報の信ぴょう性による判断能力が役立つ
- オンラインやオフラインに溢れる膨大な情報に惑わされることがなくなり、むしろその情報量を人生や生活を豊かにするための武器とすることすら可能
- 情報のプロが持つ情報リテラシーを学び取るため、判断手法をケーススタディ形式で具体的に例示・解説
- 2025年09月:対英米戦の日本敗北を警告した秋丸機関の情報分析はなぜ見捨てられたのか?
- 2025年08月:日本の諜報が死んだあの日に何が起こった?:第二次世界大戦で無条件降伏したあの日、日本のインテリジェンスがひっそりと葬り去られた
- 2025年07月:東京インテリジェンス今昔物語:今と昔のスパイたちの足跡を辿り、未来のインテリジェンスを見通す──東京インテリジェンス散策
- 2025年07月:日本の「情報機関」の現地解説:数千人のスパイが働くインテリジェンス都市・東京──元スパイが現地案内して見える情報収集機能の現状と課題
- 2025年05月:陸軍中野学校の訓練生に見る情報の性質:陸軍中野学校の知られざるスパイ教育の実態──あなたの情報、見られているかもしれない
- 情報リテラシー向上・情報総論005:正しいではなく「より正しい」を目指す
- 情報リテラシー向上・情報総論004:情報の取捨選択による信ぴょう性の確保
- 情報リテラシー向上・情報総論003:情報にしかない信ぴょう性という特質
- 情報リテラシー向上・情報総論002:知識と情報の混同による情報化社会の混乱
- 情報リテラシー向上・情報総論001:噂話から情報そして知識へ至る歴史的過程と情報リテラシー
はじめに(Introduction)
当解説は、スパイ歴約20年の元スパイ・クマさんが企画・構成・制作全てを担当した情報リテラシー向上に関するコメント記事となります。
解説に当たっては、スパイが任務実施における情報の収集及び分析で使用するノウハウを、情報リテラシーという形に置き換えます。そして、日常生活から人生の山場に至るまで、何らかの決断と行動が求められる場合、判断を下すための材料となる情報をどのように集めて、どのように分析し、どのように結論を導くのか、というプロセスを示します。
このため、当解説では、スパイに関する事項は扱われず、学校、会社、結婚、家族、子供、住宅など、誰しも身近に存在する社会的な人生イベントを主なテーマとして取り扱います。その中で、情報がどのような役割を果たすのかを可能な限り可視化することで、情報リテラシーという概念を提示し、その向上へとつなげていくことが目的です。
これは、元スパイ・クマさん自身が、任務遂行においてのみならず、人生の各所においても、スパイさながらの情報を収集して分析し、評価を加えた上で、より成功確率の高い結果を生じさせ、豊かに生きるという人生を実現させてきたという個人的な経験とノウハウに基づくものでもあります。
当解説については、当ブログのみならず、YouTubeに開設した解説チャンネルにおいても取り扱いますので、併せて同チャンネルをご閲覧願います。
インターネットが普及して手軽に情報アクセスが可能な時代
インターネットが安価かつ広範に普及することで、誰でもいつでもどこからでも、オンライン上の情報にアクセスすることが可能な時代となりました。当初は、自宅からパソコンを通じたアクセスに限定され、個人というよりも世帯ごとに固定化されて割り当てられていました。現在は、携帯電話からスマホへ移動用手段に割り当てられて、個人単位の利用が主体となり、もはや個人単位で情報にアクセスして所有することが当然となりました。
これは、個人間の人間関係に対しても影響を与えることになります。インターネット普及以前では、個人による情報入手の手段がテレビ、新聞、書籍、雑誌程度に限られ、自然な成り行きとして、個人間の雑談は、共通した情報源故に概ね同様の内容に終始していました。
しかし、インターネットによる個人単位の情報入手によって、こうした雑談は、オンライン上の大小様々な情報源を基にした内容になり、多様化していきました。何よりも、オフラインにおける人間の交流に対してもオンライン上の情報が流入してきたのです。
情報が人々の脳内に無秩序かつ恒常的に流入して情報過多が常態化
オフラインですらオンライン上の情報に占められることで、人々の日常生活は常に情報が存在する状況になり、無意識に情報に触れていることが当たり前となりました。こうして、人々は、自身が情報を必要としていない、又は欲していない時ですら、その脳内に無秩序かつ向上的に情報が流れてくることになり、現在のような情報過多が常態化したのです。
情報過多になるとは、脳内が出所不明かつ玉石混交の情報で占められていくことを意味します。こうして無秩序に情報によって占められた脳内では、その処理能力を超えて、どのように捉えることが適切と考えられるか判断できない情報が積み上がっていきます。それでも、情報は脳内に流入する日々であり、積み上がっていくばかりで脳内は一向にクリアーになりません。こうしてクリアーに程遠い脳内では、やがて物事の判断能力すら失われていき、思考自体が不透明化していきます。
思考が不透明化されることで、脳内を占める情報を通じて、外部から誤りやデマが入り込む余地が生じてしまうのです。こうした誤りやデマは、何者かの悪意的な意図が存在する場合もあれば、社会に放置された無意識の誤解や偏見に満ちたものであったりします。つまり、人々は、情報に圧倒されている間、常に何らかの欺瞞に晒されることを意味します。
情報が溢れていついかなる不利益を被るか分からない状況
こうして継続的に入り込んでくる欺瞞は、時に、顕在化した被害を生じさせる事態にまで発展させます。
こうなれば、人々は、いつでもどこでも予期しない被害を被るか分からないという心理的な不安定性を持つことになり、その日常生活から人生全体に至るまで不安に駆られる日々となりかねません。
本来、有用であるとして人々から欲せられるはずの情報は、インターネットの普及を経て、人々に不利益をもたらしかねないリスクへ発展しました。背景には、こうした発展に対し、情報を処理するために必要な「リテラシー」が社会と個人いずれにも不足していることがあります。
そもそも、情報に関しては、「リテラシー」(適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現すること)という概念自体が社会的にも個人的にも存在していません。これでは、時間の経過とともに発達するばかりの情報技術に対して、対応できるはずがありません。
背景には、情報という概念が、例えば知識と比較すると、書物に書かれた文字や数字で具体的かつ可視化される機会に乏しく、抽象的な概念や性質にとどまっていることがあります。それくらい情報とは、インターネットが普及する遥か以前から、歴史的に人間と共にあった概念でありながら、現在に至るまでリテラシーを要するとまで認識されず、ましてや確立されてこなかったのです。
知識と同様又はそれに近いレベルにまで可視化して情報リテラシーを向上させることが必要
逆に言えば、現在ほど「情報リテラシー」が必要とされる状況はなく、その必要性は、情報技術の発展に従って将来的に強まる一方でしょう。故に、情報リテラシーという概念を社会や個人に認識可能なレベルにまで具体化させる必要があります。
それでは、情報リテラシーとは何でしょうか。ここで、情報のプロであるスパイの物の見方考え方を用いることが、情報リテラシーという形で情報の取り扱い方を明示して学習可能なレベルにまで具体化するに役立ちます。取り扱い方とは端的に、ある主の特定情報の「本当」と「ウソ」を判断可能になるということであり、これはスパイが日常的に行う情報ノウハウの一つです。
情報の本当ウソを判断するためには、いかなる情報に対しても、①出所確認、②整理整頓そして③評価の3点を当てはめる
スパイは、いかなる情報を入手した場合でも、その「本当」と「ウソ」を判断できるようにするため、①出所確認、②整理整頓、③評価の3点を当てはめて考えるよう訓練されています。
①出所確認とは?
①出所確認とは、ある特定の情報がどこから端を発しているのかを把握することです。例えば、知人との雑談の中で、知人が「明日は晴れるそうだ」と述べたとします。
これは、知人が天気予報を見て、これを元に述べたのでしょうか?天気予報は具体的にネットニュースか、新聞かそれともテレビでしょうか?知人が別の知人から聞いたことかもしれません。
ネットニュースであれば、それは具体的にどの情報ソース(メディア)でしょうか?新聞であれば、どの新聞でしょうか?新聞メディア自体が天気予測していないため、どこからかの引用でしょうか?
ネットニュースの例えばNHKの公式サイトからだとすれば、その天気予報の報道日付はいつでしょうか?知人がそのサイトを閲覧したのはいつでしょうか?ニュースの文面や報道ぶりはどのような記述でしょうか?「晴れる」といっても、それを文面上では、快晴、晴天、晴れ、曇り時々晴れなどどう表現されていたのでしょうか?晴天であっても、降水確率はどの程度とされてるのでしょうか?
知人が別の知人から聞いたこととすれば、別の知人は、何を元にして言ったのでしょうか?
そもそも、知人は、「明日は晴れるそうだ」と言いましたが、その知人は、ニュースを含めて耳にしたことをどの程度正確に記憶できるのでしょうか?聞いた内容をどの程度正確に復元して、端的に伝えられているのでしょうか?
以上は、飽くまでも情報の出所確認する上でスパイの思考プロセスの一部に過ぎません。人間とは基本的に思い込みと忘却に生きており、その発言内容には、これらが必ず含まれているという前提に立って、情報の出所を一つ一つ丹念に確認していくのです。
②整理整頓とは?
②整理整頓とは、こうして出所確認を一通り済ませたところで、その情報にラベルを付けてカテゴリーごとに種別し、種別に従って記録する作業です。
上記の「明日は晴れるそうだ」について、知人が昨日夕方、NHKのウェブサイトを閲覧して、同日午後5時30分付けの天気予報で、明日の天気が雲一つない快晴であり、降水確率は0%であったことが出所確認されたとしましょう。そのほか、知人は、学歴について有名大学を卒業しており、学生時代からテストの点数は平均を上回ることが多く、平均を上回る記憶力を持っており、さらに、人前で原稿を用いてスピーチする機会のある職種に就いており、自分の考えを言語化する機会が多いとします。
これらを前提として、例えばこの知人が「明日は晴れるそうだ」と述べた際の
①日時
②場所
③発言時の状況や様子
④情報ソース
⑤発言内容
という項目ごとに記録しておくのです。そして、後日、別の機会に、同じ知人から「明日は雨らしい」などと、再び天気予報に関する発言があった場合、こちらについても同様の項目で記録しておきます。こうして知人の天気予報に関するこれまでの発言全てを出所確認して記録を繰り返すのです。その後、その知人から天気予報に関する発言が無くなれば、こちらから質問しても良いでしょう。
③評価とは?
③評価とは、出所確認した上で整理整頓した複数の記録から、「明日は晴れるそうだ」という知人の発言が「本当」か「ウソ」かを判断することです。
一連の記録から、知人が一定レベルの学歴を有し、人前でスピーチするなど記憶とその復元が求められる場面が少なくなくありません。さらに、一定の信頼性のあるウェブサイトを継続的に閲覧し、その文面を可能な限り正確に理解した上で、翌日、ありふれた場所と状況で、特段の異常なそぶりを見せることなく、「明日は晴れるそうだ」と発言したことが窺われます。こうして、発言に至ったプロセスが明らかとなり、そのプロセスからは、発言内容が実際に生じる可能性が高いと示す条件が揃っていると考えられます。
したがって、「明日は晴れるそうだ」という知人の発言(情報)の信ぴょう性は高い、つまり明日はおそらく「本当に」晴れると評価されることになります。
本当やウソという社会的な認識自体が誤っており、情報のプロが考える「本当」と「ウソ」を知ることが必要
上記のようにスパイの物の見方考え方を述べてきましたが、ここでスパイの考える「本当」と「ウソ」を定義する必要があります。そもそも、この「本当」と「ウソ」は、一般的に認識されている本当とウソとは定義が異なります。
一般的に、本当とは、真実や事実と同様と扱われており、「偽りや見せかけでなく、実際にそうであること。また、そのさま。ほんと」(goo辞書)とされています。飽くまで「偽りや見せかけでなく」としており、偽りや見せかけである可能性を基本的に排除していると考えて良い。つまり、本当とは、パーセンテージで言えば100%と言い切れることを指しています。
しかし、スパイが考える「本当」は、この100%と言い切れることを意味しておらず、この点が一般的な意味と異なると把握すべきです。今後、情報の「本当」と「ウソ」を論じていくが、その性質には注意してください。
本来、100%と言い切れることについては、情報など必要としていません。情報とは最も抽象的に「ある物事の内容や事情についての知らせ」(goo辞書)とされており、飽くまでも「知らせ」程度に過ぎません。これは、知識、数字、記号など可視化かつ明示化されたものと性質が異なって、その意味、定義、内容、形式など固定化できるものではありません。情報は、刻一刻とその内容や形式を変えていくものであり、情報を取り巻く前提、状況、環境など諸条件次第では、その内容が異なって真逆へ変化してしまうことすらあります。
故に、情報に対して、「本当」つまり100%言い切れることなどあり得ず、たとえ100%と言い切ったとしてもその瞬間、情報自体が変容しているために100%で無くなってしまいます。一方、知識、数字、記号など可視化かつ明示されたものは固定化されてもいるため、100%と言い切ることが可能でしょう。
実は、情報を取り扱うに際して、その情報が100%正しいか正しくないかと考えてしまう自体が誤りであり、「正しい情報」という認識こそ情報リテラシーの不在を物語っています。情報は、知識、数字、記号などと同列のレベルで本当ウソを判断するできる概念ではありません。
スパイは、情報を取り扱うに当たって、100%正しいかウソかを考慮していません。むしろ、情報に対して「本当」と「ウソ」のまだら模様に近い性質を見出しています。こうした前提に立ち、スパイにとっての最大の関心事は、情報にどの程度の「本当」とどの程度の「ウソ」が含まれているかを判断することにあります。
そして、情報のプロは、「本当」と「ウソ」よりも「信ぴょう性」(情報や証言などの、信用してよい度合い)(goo辞書)を最も重視し、信ぴょう性の高さを追い求めています。そして、信ぴょう性も同様、どれほど高度なレベルにあったとしても100%に達するとは考えていません。100%にこだわることなく、白黒がつかない信ぴょう性の程度に焦点を当て続ける点で、スパイが一般社会の認識とかけ離れた情報リテラシーの持ち主といえます。
情報の信ぴょう性を判断できれば、日常生活で詐欺に遭遇したり、相場より高い商品を買わされるどころか、むしろ割安な商品を安全に買うことができるようになる
インターネットの普及によって、人々の日常には数多の情報が無秩序に氾濫する一方、情報リテラシーは一向に不在のままであり、情報の観点で言えば、人々の社会生活は、一寸先は闇となった中世の暗黒時代を彷彿させます。
急速な情報化社会が誕生する前の前近代、ましてやインターネット普及以前の時代であれば、情報リテラシーが不在であっても、これに見合う程度の情報量しか社会に流通しておらず、人々の生活は、今日のように暗黒化することはありませんでした。歴史的に積み重なった知識を利用することで、生活上の不便の多くは解消されるため、知識や教養を持つことが生きる上で望ましいとされた時代でもありました。
しかし、現在の情報の流通量は、明らかに人類史上で未曾有のレベルであり、情報リテラシーが不在のままでは到底対応しきれません。従来の知識や教養には存在しなかった事象も次々と登場しており、もはや知識や教養を以てしても、生活上の不便を解消することが叶いません。なぜなら、こうした事象は、何かしらの信ぴょう性不明な情報を元に現れたものであり、対応していくためには情報リテラシーによる判断が求められるからです。
逆に言えば、情報リテラシーを身につけることで、次々と現れる未確認事象に対して信ぴょう性に基づく「本当」と「ウソ」を判断可能となり、その判断を根拠に行動することで不利益を被る可能性を最小限にして、安全と安心を確保することが可能となります。
具体的には、お金を使う場面に際しても、ある種の商品が詐欺か、相場に見合わない割高かを判断する際、その商品説明に100%本当かどうかを求めることなく、信ぴょう性を判断できる情報を得ることで、判断が可能となります。この判断の繰り返しによって、情報に存在する信ぴょう性のまだら模様を見定めることができるようになり、情報の信ぴょう性の高さと情報がウソだった場合のリスクの高さを比較可能ともなります。
一方、100%本当を追い求めることをやめない限り、詐欺商品を本当と信じるか信じないかの場当たり的な二者択一を繰り返すことになるでしょう。
究極的には人生の節目で、情報の信ぴょう性による判断能力が役立つ
人生には、その節目となる決断を下さざるを得ない場面が存在します。大学に入るため、仕事や会社を選ぶため、結婚するため、家族を持つため、子供を育てるためなど、選択次第では、人生全体に影響を及ぼしかねない重大事が少なくありません。その判断に際しては、誰しもが失敗したくないと願いながらも、現実は失敗に終わることもありますが、そもそも下した判断に何らかの情報に基づく根拠や分析が伴っていたのでしょうか。
現在、情報が溢れる中で新たな事象が次々と現れ、人生の重大事もその事象に取り込まれて、複雑怪奇な性質へ変貌しています。もはや、学校、仕事、会社、結婚、家族、子供、老後など人生の重大イベントは、数多の情報に埋もれてしまって、従来の抽象度や単純さを失っています。その判断に際しては、情報リテラシーに基づいて情報を収集して分析することで、成功に向けた信ぴょう性の高い情報に辿り着くことができます。というか、これ以外に成功確率を高める判断手法は存在しないでしょう。
例えば、人々は、結婚するに際し、どのような情報源に基づいて結婚相手の情報を収集して分析し、どの程度の信ぴょう性を持って、相手を最終的に決定しているのでしょうか。そもそも結婚相手を決めるに当たって、比較対象が可能なほどサンプル数(複数の結婚候補)を用意しているのでしょうか。情報を収集したとしても、それを分析するに当たっては比較対象が不可欠であり、終始、サンプル数を一人に絞り込んでしまえば、そもそも分析自体が不可能であり、信ぴょう性の高い情報を導き出して判断することなどあり得ません。
一方、十分なサンプル数を集めたとしても、その分析を何らかの根拠に基づいて明確にできなければ、信ぴょう性の高い情報に達しません。分析に際しては明示化する手法が必要であり、明示化することで分析の誤りを修正することができ、適切な分析によって信ぴょう性の高い情報を得ることができるのですから。
オンラインやオフラインに溢れる膨大な情報に惑わされることがなくなり、むしろその情報量を人生や生活を豊かにするための武器とすることすら可能
結婚を一例に挙げましたが、情報が膨大であっても、その中から信ぴょう性の高い情報を取り出すことができるようになれば、人生のあらゆる重大イベントにおいて、成功確率を最大限高めた判断ができるようになります。
したがって、情報リテラシーを身につけることができれば、社会を暗黒化させている情報の氾濫を逆に味方に付けることができ、有利に生きることができるようになるのです。
そもそも、情報は、文明社会が成立する以前から人間に用いられ、その抽象度や単純さから、人間のみならず動物ですら情報を集めて自らの生存を確保しようとしています。つまり、情報は、人間や動物を問わず、あらゆる生物が地球上で生き残るために不可欠な概念です。この地球上では、情報を集めて分析し、これを使って自らの生存を図る生物種のみが、現在に至るまで生き残ったのです。情報という概念に関与しない生物種はすでに滅んでいます。
この概念を急速に発展させた人類が生物種の進化を独走するのは自然な成り行きです。逆に、情報過多によって情報を集めて分析し、使うことができなくなれば、生存自体が脅かされるのも当然でしょう。人間社会がこのまま情報の氾濫に埋もれていくならば、情報による生存手段を失うことを意味し、やがて生物種として滅亡しても不自然ではありません。
情報のプロが持つ情報リテラシーを学び取るため、判断手法をケーススタディ形式で具体的に例示・解説
情報が氾濫して複雑怪奇の一途を辿る現状を鑑みれば、社会全体から個々人に至るまで情報リテラシーを身に付けることが急務であり、これを可能とするのは、従来まで社会の裏側で秘密裏に情報を取り扱ってきたスパイが挙げられるでしょう。
元スパイとして、従来のようなスパイ活動における情報言論に限定することなく、スパイという情報のプロが持つノウハウを広く社会全体に至るまで活用可能になるよう抽象化して解説します。解説にあたっては、抽象論が主体とならざるを得ないものの、情報に関する判断プロセスを逐次列挙しながらケーススタディを交えて具体的に述べていきます。






