スパイニュース解説・2024年12月川口クルド人問題004:【ケーススタディ】クルド移民問題でしくじったドイツは日本の未来の姿か!?

スパイニュース解説記事

欧州随一のクルド人移民によって移民問題が深刻化したドイツ(SPY-NE015)

はじめに

 著者は、2000年代に埼玉県川口市や蕨市を中心とする在日クルド人コミュニティー潜入調査して、多くの在日クルド人と交流しました。ただ、元諜報員(元スパイ)に課された情報保全規程に基づき、その詳細や特定につながる非公開の情報を明かすことは一切できません。

 あくまでも、報道に基づく公開情報を根拠として、元スパイの視点から、昨今話題の在日クルド人問題の経緯と実情を論じます。これは、在日クルド人への差別と偏見を払拭し、彼らの生活と活動の適切な理解を促進することが目的です。

日本における本格的な移民問題として注目される在日クルド人

 2023年7月に、埼玉県川口市内の病院前で発生した在日クルド人による乱闘事案と、その後の在日クルド人への様々な反響は、日本国内においても、事実上の移民問題が本格的に発生したことを印象づけました。

 日本政府はこれまで、外国からの「移民」の受け入れを正式に認めていません。在日外国人については、あくまでも、日本を訪問して一時的に日本に滞在しているに過ぎず、将来的には居住国へ戻るという見解であり、時には「訪日外国人」や「滞日外国人」とも呼称してきました。

 しかし、在日外国人は増加傾向にあり、例えば、在日クルド人は、1990年代以降、本格的に来日すると、現在では、埼玉県内に数千人規模とみられるコミュニティーを形成したとされます。政府見解に関わらず、在日クルド人のように年々、外国人移民が進んでいる実態があるとみられます。

 そして、在日クルド人は図らずしも、日本社会に対し、こうした実態の存在を明らかにしてしまいました。

数十年前からクルド人移民問題を経験していたドイツの先例

 実は、日本よりも早く、より深刻なクルド人移民問題に直面したのは、ドイツです。ドイツは現在、欧州最大のクルド人コミュニティーが形成されており、その規模は、正確な数字が存在しないものの、推計で50万人規模とみられています。2023年時点で、埼玉県内における在日クルド人コミュニティーが推計で数千人規模とされており、在日外国人の全体でも約340万人であるため、在独クルド人コミュニティーの規模は日本の100倍以上と比較になりません

 また、ドイツにクルド人が移民を開始したのは1960年代とされており、クルド人の来日が始まったのが1990年代とされることから、在独クルド人コミュニティーの歴史は日本より約30年長いことになります。

 それだけに、ドイツ国内では、1990年代からクルド人移民が社会問題として取り上げられるようになり、この点についても、日本より約30年先駆けています

 ドイツの先例は、クルド人問題が表面化して日も浅い日本にとって、今後の展開を予想し、対策を講じる上で重要でしょう。在独クルド人をめぐるコミュニティーの形成プロセス移民増加による問題点そして移民対策による問題緩和を、日本と比較しながらみていきましょう。

1960年代〜1970年代:在独クルド人コミュニティーの形成開始と拡大

 ドイツをはじめとする欧州各国は、第二次世界大戦後における経済成長によって、労働者不足になり、域外から外国人労働者を受け入れるようになります。

 ドイツは当時、東西に分かれており、資本主義経済を導入した西ドイツは、第二次世界大戦の敗戦復興を経て、「経済の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げ、世界第三位の経済力を備えました。故に、好景気に基づく労働者不足は、欧州各国の中で特に深刻であり、クルド人をはじめとする外国人を受け入れざるを得ません。

 この点は日本と共通しています。1990年代初頭までの「バブル経済」で、労働者不足に悩まされ、外国人労働者を受け入れる中で、クルド人の来日が本格化した経緯があります。

1980年代:欧州最大のクルド人コミュニティーへ

 ドイツは、好景気を背景に1980年代に入っても、外国人労働者を受け入れました。特に、クルド人の場合は、トルコ国内で、1980年代にPKKが武装闘争を開始することで、クルド人分離独立問題が深刻化し、難民として欧州へ逃れる者が出始めます。特に、ドイツは、第二次世界大戦中のユダヤ人迫害の反省から、難民の受け入れに積極的であったこともあり、クルド人難民が急増します。結果的に、欧州最大規模のクルド人コミュニティーが形成されました。

 この点についても、日本と共通しています1980年代から深刻化したトルコ国内のクルド人分離独立問題が遠く日本まで波及した結果、1990年代から難民の一部であるクルド人の来日が本格化し、小規模ながらもクルド人コミュニティーが形成開始されます。クルド人は、1990年代に経済不況に入ったドイツよりも、「バブル景気」に湧いていた日本を目指したのです。

1990年代:トルコからのクルド人難民の流入増加

 ドイツは、1990年代に、「欧州の病人」と呼ばれるほど不況に陥りましたが、クルド人の移民自体は止まりませんでした。背景には、トルコ南東部のクルド人地域で、政府軍とPKKの戦闘が続いていたことがあります。

 1990年代に入っても、戦闘は沈静化するどころか、むしろ激化しており、国外へ逃れるクルド人が相次ぎました。ドイツには当時、数十年の歴史を経て形成されたクルド人コミュニティーがあり、在独クルド人二世が誕生するほどコミュニティーとして成熟していました。クルド人は、在独の親族や知人のツテを頼って、ドイツへ移民していったと考えられます。こうしてコミュニティーはますます拡大し、1995年時点では、その規模は約55万人と推計されました。

 この点についても、日本と共通しています。日本においては、1990年代にクルド人の来日が本格化しましたが、これは、1990年代のトルコ南東部における戦闘激化の余波の一部が波及したためとみられます。こうして在日クルド人コミュニティーの雛形が形成され、これが後になって、クルド人の来日を促進させることになります。

 こうした動きは、日本がバブル崩壊を経験して、経済不況に陥った2000年代においても続きました。

1990年代:クルド人分離独立主義の影響と国内過激化

 1990年代は、トルコ南東部におけるPKKによる分離独立問題の深刻化が、ドイツ国内にまで波及しました。

 PKKは、1990年代において、トルコ南東部のクルド人地域から首都アンカラやイスタンブールなどの都市部にまで、テロ攻撃を実行するなど、活発に活動していました。その上で、欧州最大のクルド人コミュニティーが形成されていたドイツに、PKKメンバーをドイツへ送り込みましたPKKメンバーは、在独クルド人コミュニティー内部に入り込み、その中でトルコ政府によるクルド人弾圧を訴えて、在独クルド人団体を組織化し、その抗議活動を計画します

 ドイツ国内では、トルコ政府やトルコ企業の関連施設周辺で抗議活動が行われ、その一部は、施設への侵入や破壊など暴力行為に及びます。対応に苦慮したドイツ政府は、PKKとその在独関連組織を非合法化し、取り締まりに乗り出します。

 この点については現時点で、日本と共通していません。2000年代には、在日クルド人団体がいくつか設立されましたが、これまでのところ、在日クルド人団体とPKKの関係は確認されていません

 ただ、日本では、2015年10月に、駐日トルコ大使館前で、在日トルコ人と在日クルド人合わせて約500人による乱闘事案が発生しています。これは、在日クルド人の一部が大使館前でクルドの旗を掲げ、在日トルコ人を「テロリスト」と非難したことが原因とされます。日本国内で、トルコのクルド人分離独立問題の余波が初めて表面化した出来事とみられます。

 日本は、1990年代のドイツを追随するようにして、在日クルド人の分離独立問題をめぐる抗議活動や暴力行為に直面する日が来るかもしれません

2000年代〜:法的地位の付与と移民としての受け入れによるドイツ社会への統合加速と移民問題の低位沈静化

 ドイツは、2005年以降、移民の地位や待遇に関する法律を制定し、外国人移民に対する労働市場への参加を解放しました。外国人移民を労働者として正式に受け入れるとともに、移民社会をドイツ社会へ統合させることにしたのです。

 在独クルド人もこうした流れの中で、ドイツにおける労働力の一つとして組み込まれることで、ドイツ人というアイデンティティを得る機会を得ました。1960年代のドイツへの移民開始から50年近くになり、コミュニティーの構成は、トルコから移民した在独一世がこの世を去り、ドイツ生まれの在独二世や三世が多数派を占めており、クルド人のドイツ化が進んでいます。

 こうして在独クルド人コミュニティーの社会統合による同化によって、トルコのクルド人分離独立問題は、在独クルド人にとってあたかも異国の話題になっていき、ドイツ国内におけるPKKの活動は徐々に停滞します。少なくとも、1990年代のように、ドイツ国内で抗議活動や暴力行為が発生する状況ではなくなりました

 この点についても現時点で、日本は未経験です。日本では、2020年代に入って在日二世が台頭し、在日クルド人と地元住民との共生が課題になったばかりです。社会問題化を経ることで今後、2000年代以降のドイツを追随するようにして、在日クルド人の日本社会への統合が始まる日が来るかもしれません

ドイツの先例から見るクルド人移民問題の3つの移行プロセス

 ドイツは、1960年代から今日に至るまで、クルド人を含む外国人移民について、3つの移行プロセスを経験しました。それは、移民問題の①顕在化②社会問題化、そして③統合沈静化です。

 1960年代に、好況による労働者不足に基づいて、外国人移民を受け入れました。移民政策が未整備であったこともあり、移民が無秩序に国内へ流入してしまいました。1970年代以降は水面下レベルで、移民問題が徐々に顕在化しました。やがて、1990年代に入って、移民問題が社会全体レベルに及ぼす問題となってしまい、本格的な移民対策が求められるようになります。

 2000年代に入って、移民政策が進められ、移民の社会統合が本格化することで、クルド人をはじめとする外国人労働者は次第に、地元住民へ同化していきます。これにつれて、移民問題も沈静化していき、移民問題は、ありふれた社会問題の一つとして残ってきます。

 ドイツは現在も外国人移民との共生を進行させており、出生率の低下による人口減を補いつつ、国家経済を維持しているわけです。

 ドイツにおける一連の移民問題プロセスは、日本の未来に想定されるシナリオとして捉えることができます。そして、在日外国人による事実上の移民問題に対応する上で、一つのモデルケースと言ってよいでしょう。

日本が直面する事実上の移民問題としてのクルド人問題

 日本国内におけるクルド人移民の現状を、ドイツのモデルケースに当てはめると、日本では、在日クルド人問題が、①顕在化から②社会問題化へ移行する手前にあると考えられます。

 1990年代に、クルド人が本格的に来日して以来、埼玉県川口市及び蕨市には、数千人規模と推定されるコミュニティーが形成され、在日クルド人二世が台頭するなど世代交代も進んでいます。同時に、コミュニティー内部では、古参新参をめぐる来日経緯の違いや世代間ギャップによる家庭内不和など様々な問題が生じていました

 そして、2023年7月に、川口市内の病院前で在日クルド人による乱闘事案が発生し、マスメディアを通じて報道されると、在日クルド人の存在が日本社会で注目を集めました。川口市内では、クルド人に反発するデモ活動が行われ、SNS上では、差別や偏見と受け止められかねないコメントも散見されるなど、社会問題化しつつあるとみられます。

日本社会が向き合う時期に至った在日クルド人問題

 ドイツのモデルケースにように、日本においても今後、在日クルド人問題が社会問題として扱われることが予想されます。

 ドイツと異なる点といえば、在独クルド人コミュニティーは、少なくとも約50万人から約100万人と欧州最大であり、在日クルド人コミュニティーとは100倍以上の開きがあることです。故に、日本が、ドイツと同様の時間的スピードと深刻なレベルで社会問題化するとは考えにくいですが、移民問題としてのプロセスとしては同じ道を辿っている可能性高いでしょう。

 したがって、日本は、事実上の移民問題としては最初の事例となった在日クルド人問題に対し、正面から向き合う時期に来ているかもしれません

以 上

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