スパイニュース解説・2024年10月イスラエル・レバノン侵攻002:イスラエルとイラン軍事衝突・中東地域に緊張が走る

スパイニュース解説記事

シーア派盟主として各地のシーア派勢力を代理人とするイラン(SPY-NE004)

スンニ派イスラム原理主義ハマスに対するシーア派民兵組織ヒズボラ

 ヒズボラは、レバノンで創立されたシーア派民兵組織です。レバノンは、イスラエル北部と国境を接する国家ですが、1975年から15年にわたる内戦を経て、統治が脆弱となったままです。元々は「モザイク国家」と称されるほど多様な宗派が混在しており、一旦分裂してしまうと、安定化の兆しが見えません

 こうした状況下において、1982年に同国南部のシーア派住民を保護する名目でヒズボラが誕生しました。同年には、イスラエルがレバノン内戦に軍事介入していますが、これは当時、レバノンを活動拠点としていたパレスチナ解放機構(PLO)を軍事的に排除することが目的でした。しかし、イスラエル軍は、レバノン南部を戦場にしたことで、シーア派住民がその戦禍の犠牲になっていたのです。

 そして、シーア派住民の惨状を見かねて、イランが手を差し伸べました。

シーア派勢力の盟主であるイランのシーア派重視政策

 イランは、イスラエルによるレバノン軍事介入が発生する数年前から、国家体制が揺らいでいました。レバノン内戦が発生した頃、イランは親米王政下にあり、シーア派イスラム教徒が大半を占めながらイスラムの教えが十分行き届いた国家体制ではなく、貧富の格差も拡大するばかりでした。1979年になって、同国のシーア派宗教指導者のホメイニ師を支持する大規模デモが発生し、国王パフラヴィー2世が国外出国するという革命が起こります。

 これ以降、イランは、ホメイニ師を中心とするイスラム体制へ移行するとともに、反米路線に転換して米国と国交断絶しました。米国と親交の深いイスラエルに対しては、イスラムの三大聖地の一つであるエルサレムを不当に占拠するとして、やはり国交断絶しました。

 この結果、イランは、反イスラエル・反米を標榜するシーア派最大勢力としての立場を国際社会の中で確保しました。そして、各地に点在する少数派のシーア派に対する影響力を及ぼすことで、中東地域における立場を強化しようとします。

イスラム革命を成し遂げたイランのレバノン内戦への介入

 イランでイスラム革命が起こった1979年時点で、レバノンは内戦の真っ只中でした。中東地域で少数派のシーア派が生活する地域は限定的ですが、レバノン国内では、シーア派住民が人口の約27%を占めるとされ、これは同国内の宗派別で最大規模です。シーア派住民は主に、レバノンの南部と西部で生活していますが、1982年にイスラエルがレバノン内戦に軍事介入することで、レバノン南部が戦場になってしまいます。レバノンは、イスラエル北部と国境を接しており、イスラエルが北上して越境したことが要因です。

 イランにとっては、反イスラエルを標榜してまだ数年と短いこともあり、イスラエルへの対抗行動を起こして国際社会にアピールする絶好の機会ともなりました。それも、イスラエルが侵攻したレバノン南部には、多くのシーア派住民が住んでおり、イスラエルに抵抗するために現地住民の中から戦闘に参加する民兵が集まって、民兵組織を結成していたのです。これが後に「ヒズボラ」と知られるようになるシーア派民兵組織の母体となります。

 イランは、ヒズボラを介して、イスラエルに軍事的打撃を与えようと考え、ヒズボラ民兵に武器と資金を与えるとともに、その一部をイラン国内に招いて正規軍による軍事訓練に参加させたとされます。その結果、素人同然の民兵の寄せ集めに過ぎなかったヒズボラは、イスラエル軍に対抗できるだけの軍事能力を備えました。

 こうしてヒズボラ支援は、革命後のイランにとって初めての本格的な反イスラエル政策となりました。

イラン・イスラム革命とレバノン内戦を経て決定的になったイスラエルとイランの敵対関係

 イランは、イスラエルにとって建国以来の友好国でしたが、イスラム革命とレバノン内戦を通じて、敵国へと様変わりしました。

 ただ、イランは、飽くまでも少数派であるシーア派を標榜する国家に過ぎません。イスラム教徒が占める中東地域、湾岸地域及び北アフリカ地域は、スンニ派が圧倒的多数であり、イスラエル近隣諸国もスンニ派で主に占められています。故に、イランの敵対化は当初、イスラエルにとって、特段の脅威とみなす必要がありませんでした。

 しかし、イランは、中東地域の各国に点在するシーア派住民によるコミュニティに接近し、援助することで、シーア派全体がイランの下で統一勢力となるよう画策したのです。その代表例となったのは、レバノン内戦中に支援したシーア派民兵組織のヒズボラです。イランは、1990年にレバノン内戦が終了した後も、ヒズボラとの関係を維持し、武器・資金を供与しました。さらに、民兵による軍事組織に過ぎないヒズボラに、政治資金や政治的イデオロギーを与えることで、政治政党として活動できるよう組織化しました。内戦終了から間もない1992年には、レバノン議会選挙に参加しています。

 ヒズボラは、軍事部門と政治部門を併せ持つ組織へと拡大するとともに、イランへの依存を強めていきます。もはや、レバノンにおけるイランの代理人に近い存在となりました。

イスラエル近隣諸国のシーア派勢力への影響力を画策するイラン

 イランは、ヒズボラを自らの代理人とすることに成功し、こうしたモデルケースを拡大しようと意図しました

 例えば、アラビア半島のイエメンには、人口の約35%がシーア派住民です。2000年代のイエメンは、「国民全体会議」(GPC)のサーレハ大統領による事実上の独裁下にあり、2004年には、政府とシーア派武装組織フーシー派との武力衝突が発生しています。フーシー派は、イエメン北部のシーア派住民地区で活動しており、イランにとって、ヒズボラとのいくつかの共通点があります。故に、イランがフーシー派に接近するのは自然な成り行きでした。

 イランは、2000年代初頭からフーシー派への接近を図ります。2004年にフーシー派がGPC主導の政府軍と武力衝突を起こすと、武器・軍事資金を含む軍事支援を開始しました。その後も、双方の間で武力衝突が散発的に発生し、2009年にサウジアラビアが政府軍側へ支援を開始すると、イランから支援を受けるフーシー派との間で対立が泥沼化していきます。

 そして、2011年に「アラブの春」と呼ばれる一連の民衆運動が起こると、イエメン国内でも反政府運動が強まり、これに乗じてフーシー派が勢力を拡大させます。2014年には、フーシー派が首都サヌアを制圧することで、イエメン北部はフーシー派の勢力地域となりました。

 レバノンのヒズボラと同じく、イランが支援するフーシー派は、一国の首都を支配する勢力にまで成長したのです。事実上、イランにとって新たな代理人となりました

シーア派=反イスラエルという図式が強まる中東地域

 イランは、ヒズボラやフーシー派の他にも、シーア派住民が国内最多を占める隣国イラクにおいても、レバノンと同様、地元民兵を支援した上で、軍事組織として組織化しています。

 また、シリアでは、住民の約13%がシーア派住民であり、アサド同国大統領は、シーア派住民が住む地域を基盤として、シリア内戦下においても政権を維持しています。このため、イランは、アサド政権に対して、武器・弾薬を含む様々な支援を行うことで、アサド政権の維持を後押ししています。

 イランがイラク、シリアそしてレバノン各地のシーア派勢力を支援することで、点在するシーア派勢力があたかも一本の帯のように繋がれました。これは俗に「シーア派の三日月」と呼ばれています。こうした一本の帯に対し、イエメンのフーシー派が台頭することで、三日月は「満月」に向けて拡張したとも言えます。

 現時点では、中東地域におけるシーア派は、イランとの関係性を抜きにして語れないようになっています。イランが反イスラエルを掲げる以上、シーア派の各勢力が反イスラエル勢力へ転じたと言って過言ではありません。こうしてイスラエルに対するイラン主導の包囲網が形成されているのです。

スンニ派諸国とシーア派国家に二分される反イスラエル陣営

 イランが、中東地域のシーア派を糾合して反イスラエル勢力へと統一化を図ることで、中東地域の反イスラエル陣営では、主に二つの潮流が形成されています。

 一つは、サウジアラビア、エジプトなどをイスラム教多数派のスンニ派が主導する勢力です。これらスンニ派諸国は元々、イスラエルの建国以来、イスラエルと反目しています。特に、中東戦争では、イスラエルと直接戦火を交えており、反イスラエルの急先鋒となりました。

 しかし、1979年にエジプトが、1994年にヨルダンがそれぞれイスラエルと国交樹立しました。そして、2020年には、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、スーダン、モロッコが相次いで関係正常化しました。こうした中で、反イスラエルのスンニ派盟主であるサウジアラビアも、イスラエルと宥和的な動きに転じつつあります。

 一方、もう一つは、イランによるシーア派が主導する勢力です。これは、イスラエルを取り囲むように勢力を束ねることで「シーア派の三日月」を形成し、イスラエルへの敵対姿勢を維持しています。

ハマスとヒズボラを起点としたパレスチナ問題への武力介入ルート

 パレスチナ問題は、第二次対戦後におけるイスラエル建国に端を発しており、四度にわたる中東戦争に見られるように、時には軍事的なアプローチが行われます。

 国家間の戦争という枠組みでは現時点で、1973年の第四時中東戦争が最後となっています。1990年代に中東和平が進められたこともあり、これ以降は、イスラエルと武装組織との武力衝突が発生するようになりました。つまり、軍事的なアプローチは、国家間が直接行うのではなく、国家の代理人を通じて間接的に行われるようになったのです。

 主な代理人としては、ハマスヒズボラが挙げられ、中東諸国がパレスチナ問題への影響力を誇示するに当たっては、ハマスとヒズボラへの軍事支援を通じて、メッセージを送るようになっています。ハマスとヒズボラの動向は、パレスチナ問題の停滞や進展を端的に示すものと言えます。

 こうした図式の中で、2023年10月にハマスがイスラエル南部へのロケット弾発射と陸上侵攻を行い、これに呼応するようにして、ヒズボラがイスラエル北部にロケット弾を発射したのです。

 イランは、ハマスとヒズボラ双方に支援を与えており、これは、そのイランがイスラエルに対して、攻撃的なメッセージを発したものとみられます。

以 上

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