イスラエルとイランの軍事衝突の陰で激化する諜報戦の実態とは?(SPY-NE038)
- 昨年10月以来、再び始まったイスラエルとイランの軍事衝突
- 今回の軍事衝突における特徴
- 外交的背景:交渉決裂と軍事行動の引き金
- モサドの「暗殺工作」と空爆作戦への影響
- 歴史が育んだモサドの「暗殺スキルとノウハウ」
- 若い組織がなぜ“最強の暗殺機関”となったのか
- 戦犯追跡が育てた暗殺スキルと諜報ノウハウ
- 反イスラエル運動と「報復型暗殺」の体系化
- 暗殺から戦術へ:諜報の延長線上にある軍事力
- イランの対外諜報機関「コッズ部隊」
- 「抵抗の枢軸」―中東全域を覆うイランの代理戦略
- 代理勢力を育成するコッズ部隊と、それを阻止するモサドの暗殺工作
- モサドの反撃──代理勢力の中枢を狙う「精密な暗殺工作」
- イラン情報機関の劣勢が浮き彫りに──「後手に回る諜報戦」
- 諜報で敗れたイラン──軍事面でも劣勢が鮮明に
- イランが停戦に追い込まれることが必至か
昨年10月以来、再び始まったイスラエルとイランの軍事衝突
2025年6月13日、イスラエルは、200機以上の戦闘機を投入し、イラン国内の核関連施設やミサイル基地、防空システムを含む100か所以上を一斉に攻撃しました。標的は、国家中枢だけにとどまらず、革命防衛隊(IRGC)の幹部や核開発に関わる専門家たちの個人住居にも及んでいます。
これに対し、イランはただちに報復に踏み切り、イスラエルに向けて数百発規模の弾道ミサイルおよび巡航ミサイルを発射しました。
6月14日以降も、両国の間では断続的に軍事衝突が発生しており、イスラエルとイランの直接的な軍事衝突としては、2024年10月以来、今回が3回目となります。

今回の軍事衝突における特徴
イスラエルが今回の先制攻撃で狙ったのは、イランの核開発に関連する施設と、それに関わる人物でした。ナタンツやイスファハンなど、主要なウラン濃縮施設では深刻な被害が確認され、著名な核科学者であるフェレイドゥン・アバシ氏をはじめとする複数の核開発専門家が、自宅での攻撃により死亡しています。
また、軍関係者の個人住居も標的となり、革命防衛隊(IRGC)の司令官ホセイン・サラミ氏や、イラン軍の参謀総長モハンマド・バゲリ氏も死亡したと報じられています。
イスラエルは、これまでに2024年4月と10月の2度、イランに対して軍事攻撃を実施していますが、その際はいずれも核施設や石油関連施設といった国家中枢への直接的な攻撃は避けてきました。しかし、今回は方針を転換し、核関連施設を新たな主要ターゲットとして明確に設定した点が、過去の衝突とは一線を画しています。
一方、イランはこれまで、2024年4月および10月にもイスラエルに対してミサイル攻撃を行っていますが、当時の標的はイスラエル北部や南部の人口が比較的少ない地域に限定されていました。
しかし今回、イランは標的を大きく変更し、エルサレムや商業都市テルアビブといった主要都市の人口密集地に対して攻撃を加えました。この結果、複数の民間人に死傷者が発生しています。
攻撃の規模においても、過去を大きく上回っています。2024年4月には約150発、10月には180発以上のミサイルを発射していましたが、今回は6月13日だけで弾道ミサイルが数百発に達し、18日までの累計では約400発前後と見られています。反撃の激しさと量において、イランはこれまでにない最大規模の攻撃を実行したと言えるでしょう。

外交的背景:交渉決裂と軍事行動の引き金
イスラエルとイランは、2024年4月に史上初となる直接的な軍事衝突を経験し、同年10月にも2度目の交戦に至っています。
ただ、2025年1月、米国でトランプ新政権が発足すると、核開発をめぐるイランとの協議は急速に緊張を帯びはじめます。新政権は、イランに対して「核兵器の完全放棄」や「無条件降伏」といった強硬な条件を突きつけ、ウラン濃縮活動の即時停止を要求しました。
さらに4月には、協議の合意に向けて「60日間」の猶予期間が設けられました。この間、イスラエルは軍事行動を控え、外交交渉の行方を静観していたと見られています。
しかし、この期限は2025年6月12日で終了し、イラン側は最終的な合意に至りませんでした。そして、日付が変わった6月13日未明、イスラエルはイランに対する大規模な軍事攻撃を開始します。これは、交渉によって合意を引き出すことが不可能と判断し、軍事力によって核開発を強制的に停止させるという明確な意思表示であったと考えられます。
今回の攻撃では、核関連施設が主な標的となっただけでなく、核開発に関わる専門家個人の排除までが目標に含まれており、イスラエルの戦略がより徹底的かつ直接的なものへとシフトしていることがうかがえます。

モサドの「暗殺工作」と空爆作戦への影響
今回の軍事衝突では、イスラエルとイランの間で繰り広げられてきた水面下の諜報戦の一端が、ついに表面化しました。特に注目すべきは、イスラエル特務諜報庁モサドの高度な暗殺工作能力が、軍幹部や核開発関係者といった個人を標的とする作戦において発揮された点です。
6月13日の攻撃には、200機以上の戦闘機に加え、イラン国内に潜伏するモサド工作員が運用する無人機(ドローン)も参加しました。その結果、イランの最上級司令官3名や革命防衛隊空軍の司令官、さらに20人以上の幹部クラスの指揮官が標的とされました。また、核兵器開発に関与していた科学者および技術者9名も命を落としています。
本来、有人戦闘機による空爆の標的は、施設や兵器といった固定された軍事目標に限られ、個人を対象とすることは極めて稀です。なぜなら、個人の所在は変動しやすく、位置の特定が難しい上、戦闘機やミサイルを用いるコストに見合わないと判断されるからです。こうした個人攻撃には通常、米軍がアフガニスタンなどで用いた無人機によるピンポイント暗殺が主流となっています。
ところが今回、イランの軍事・核開発の中枢を担う人物たちが次々と自宅などで正確に標的とされ、死亡しています。これは、無人機に加えて有人戦闘機の投入も可能となるほど、標的の位置情報が極めて正確だったことを示しています。
つまり、今回の作戦では、モサドが長年にわたり培ってきた「暗殺工作」の技術と諜報力が直接活用されたと見られます。標的の正確な居場所を割り出すだけの、信頼性の高い内部情報をイスラエル側が握っていたことは、諜報機関としてのモサドの実力を如実に物語っています。

歴史が育んだモサドの「暗殺スキルとノウハウ」
スパイと聞くと、「殺しのライセンス」を持つ工作員というイメージを持つ人も少なくありません。この印象は、人気スパイ映画『007』シリーズに登場するジェームズ・ボンドの影響によるところが大きいでしょう。
しかし現実には、国外での「暗殺工作」を正規の任務として遂行できる対外諜報機関は、世界でもごく限られています。具体的には、英国の秘密情報部(MI6)、米国の中央情報局(CIA)、そしてイスラエルの諜報特務庁モサドがその代表格です。他の諜報機関でも個別に暗殺を実行した事例はありますが、それは例外的な措置に過ぎません。
中でもモサドは、国外での個人標的型攻撃において、最も多くの実戦経験を積んできた組織とされています。暗殺工作のスキルとノウハウにおいては、長い活動実績を背景に、MI6やCIAをも上回るとみられています。
その理由のひとつは、モサドの発足経緯そのものに暗殺任務の要素が組み込まれていたことにあります。イスラエル建国直後の混乱期にあって、国家の存亡をかけて敵対勢力を排除する必要があったイスラエルにとって、「敵を事前に無力化する」という発想は、外交でも軍事でもなく諜報こそが担うべき実践的な手段だったのです。

若い組織がなぜ“最強の暗殺機関”となったのか
イスラエルは、1948年に建国された比較的新しい国家であり、その歴史はまだ80年にも満たないものです。モサドもその前身組織が1949年に立ち上げられ、正式な発足は1951年と、ごく最近のことに思えるかもしれません。
設立時期だけを見れば、日本の内閣情報調査室や公安調査庁といった情報機関と大差はなく、アメリカの中央情報局(CIA)もまた、発足は1947年と、決して長い歴史を持っているわけではありません。当時、国際的に見ても、暗殺工作に関するスキルやノウハウが確立されていた情報機関は存在していませんでした。
それでもモサドが、CIAやMI6をしのぐ“実戦型諜報機関”として成長した背景には、創設直後から課された極めて特殊かつ歴史的な任務が関係しています。
それが、旧ドイツ政権の戦犯追跡と抹殺(または拘束)任務です。第二次世界大戦後、多くの旧政権高官や戦犯が南米などに逃亡する中、イスラエルは彼らを世界中から探し出し、裁きを受けさせるという国家的使命を背負っていました。
この使命が、モサドに暗殺・拉致・潜入・尾行・情報収集など、あらゆる非正規手段を実践的に習得させる土台となり、他国の情報機関とは異なる発展を遂げたのです。

戦犯追跡が育てた暗殺スキルと諜報ノウハウ
モサドが創設された当時、世界にはまだ第二次世界大戦の記憶が色濃く残っており、とりわけユダヤ人にとっては、ナチス・ドイツによるホロコーストの傷跡が生々しい時代でした。
この状況下で、イスラエル国家には、ユダヤ人虐殺を主導したナチス旧政権幹部たちへの報復と裁きという使命が課されることになります。
ナチス高官の多くは、ベルリン陥落時に死亡または連合国によって拘束されましたが、一部はドイツ国外に逃亡し、その後の足取りを絶っていました。こうした逃亡者の居場所を突き止め、拘束し、裁判にかけるという任務を引き受けたのがモサドでした。
モサドは、世界中に存在するユダヤ人ディアスポラ(離散ユダヤ人)コミュニティに独自の情報網を築き、それを足がかりに、特定の個人を標的とした諜報活動を展開していきます。
その象徴的な成功例が、1960年に実行された「アドルフ・アイヒマン捕獲作戦」です。アイヒマンは、ナチス親衛隊(SS)の高官であり、ホロコーストの実行責任者の一人とされていましたが、戦後は身を隠してアルゼンチンに潜伏していました。モサドは、ユダヤ人ネットワークから得た端緒情報をもとにアイヒマンの居場所を特定し、極秘裏に拘束することに成功します。
以降もモサドは、世界各地に逃亡したナチス幹部の追跡・拘束作戦を継続し、その過程で以下のようなスキルとノウハウを体系化していきました。
世界規模での情報収集網の構築
偽造身分証やカバーストーリーによる潜入活動
長期間にわたる対象者の監視と追尾
現地での秘密作戦実行能力
当初の任務は「生きたままの拘束」が前提でしたが、それよりも難易度が低いとされたのが「暗殺」でした。生け捕りに比べて、殺害するほうが短時間で確実に目標を排除できるためです。こうして、モサドは世界でも稀に見る精度と実行力を誇る暗殺工作スキルを、任務の中で実戦的に蓄積していくことになります。

反イスラエル運動と「報復型暗殺」の体系化
モサドの暗殺スキルとノウハウは、1970年代以降、さらに進化を遂げていきます。その契機となったのが、1972年に発生したミュンヘン・オリンピックにおけるイスラエル選手団襲撃事件、通称「黒い九月事件」でした。
この事件では、パレスチナ武装組織「黒い九月」が選手村を襲撃し、イスラエル選手11人が殺害されるという惨劇が発生します。これを受けて、イスラエル政府はモサドに報復任務を命じ、「神の怒り作戦」が開始されました。
この極秘作戦において、モサドは事件の首謀者および関係者を特定し、次々と暗殺を実行していきます。作戦はヨーロッパ各地を舞台に展開され、対象となったのは「黒い九月」やパレスチナ解放機構(PLO)の関係者たちでした。最終的に、首謀者とされるアリー・ハッサン・サラメを爆殺したことで、作戦は完了とされますが、それまでに20人以上が暗殺されたと報じられています。
この一連の暗殺劇を通じて、モサドは「敵対者を国外で秘密裏に排除する」という手法を、単発の任務ではなく体系化された作戦形式として確立しました。つまり、ナチス戦犯の追跡で育まれた技術は、この時期以降、国家の報復・威嚇のための“攻撃的暗殺手段”へと変貌したのです。

モサドは、1990年代になると、反イスラエル主義を掲げるパレスチナ解放運動との対決を通じて、数々の「暗殺工作」を経験しています。こうして数十年にわたる数々の暗殺作戦は、他の対外諜報機関に追随を許しません。モサドのように、個人を対象とした諜報工作が求められ、成功させる必要性に迫られてきた対外諜報機関は存在しないからです。
そして、こうして確立された暗殺スキルとノウハウは、2020年代に入って、戦争や紛争における軍事戦術にまで応用されるまで発展したのです。

暗殺から戦術へ:諜報の延長線上にある軍事力
2020年代に入ると、モサドが確立してきた暗殺スキルと諜報ノウハウは、戦争や武力衝突といった国家間の軍事行動そのものに応用されるようになります。もはや「暗殺」は、諜報の一環ではなく、軍事戦術として公式に組み込まれるフェーズへと進化したのです。
2025年6月のイスラエルによる空爆作戦において、核科学者や軍幹部といった「個人」が空爆目標として設定された背景には、このように諜報と軍事の境界が消えつつある現実が浮かび上がっています。

イランの対外諜報機関「コッズ部隊」
イスラエルにモサドがあるように、軍事衝突のもう一方の当事者であるイランにも、国外での諜報・工作活動を担う組織が存在します。それが、イラン革命防衛隊(IRGC)の内部に設けられた対外諜報・特殊作戦部隊「コッズ部隊」です。
この部隊は、イラン・イラク戦争中の1986年以降、国外における特殊作戦と情報戦を本格的に行う必要性が高まったことを受け、1988年に発足しました。それまで革命防衛隊内に点在していた情報部門を一本化し、国外作戦を専門とする統合諜報組織として設置されたのです。
「コッズ」とはアラビア語で聖地エルサレムを意味する「クドゥス」に由来し、「エルサレム部隊」とも訳されます。エルサレムは、イスラエルが首都と位置づけている都市であり、部隊名そのものが反イスラエル的な象徴性を帯びています。
つまり、この名称自体が、イスラエルとの対決姿勢を前面に押し出した政治的・宗教的メッセージでもあるのです。
コッズ部隊は、イランの軍事力の一部であると同時に、国外における情報収集・浸透工作・テロ支援・軍事訓練支援などを担う、極めて多機能かつ戦略的な諜報部隊でもあります。

「抵抗の枢軸」―中東全域を覆うイランの代理戦略
コッズ部隊は、イスラエルと正面から軍事衝突するだけでなく、中東各地に親イラン勢力を配置する“代理戦略”によって、長期的かつ広範な対イスラエル戦を展開してきました。
この戦略の中核を成すのが、「抵抗の枢軸」と呼ばれる一連の親イラン勢力です。イランは、モサドに対抗するため、これらの代理勢力を通じて情報活動や武装闘争を支援し、地域全体でイスラエルを包囲する構造を築いてきました。
代表的な代理勢力には、以下のような組織が含まれます:
レバノンのシーア派民兵組織 ヒズボラ
シリアの旧アサド政権
イラクにおける親イラン系民兵組織
イエメンのイスラム武装組織 フーシー派
パレスチナ自治区ガザにおけるイスラム原理主義組織 ハマス
これらの勢力は、いずれもイランの影響下にあり、イスラエルを半包囲状態に置く配置となっているため、「シーア派の三日月」と形容されることもあります。このように、軍事的・地理的にイスラエルに持続的な脅威を与え続けてきたことから、コッズ部隊とモサドの間では、水面下で激烈な諜報戦が繰り広げられているのです。

代理勢力を育成するコッズ部隊と、それを阻止するモサドの暗殺工作
コッズ部隊は、発足から間もない1990年代初頭から、中東各地での代理勢力構築工作を本格化させます。その代表例が、レバノンのシーア派民兵組織「ヒズボラ」の軍事化です。
コッズ部隊は、ヒズボラに対して以下のような支援を提供し、その戦闘能力の高度化と組織的軍事力の強化を推し進めてきました:
野戦戦術やゲリラ戦に関する専門的な戦闘訓練
銃火器・ロケット弾などの武器・弾薬の供与
資金援助および通信・監視機器の提供
こうした支援を受けたヒズボラは、レバノン南部を拠点にイスラエル本土への攻撃を活発化させ、ロケット弾の発射や越境襲撃などにより、イスラエルにとって重大な脅威となっていきます。
このような代理戦力の台頭に対し、モサドは徹底した諜報と暗殺による反撃に乗り出します。ヒズボラの軍事幹部やコッズ部隊の支援係官を標的とした個人単位の攻撃を水面下で進め、そのネットワークの切断を試みることになります。

モサドの反撃──代理勢力の中枢を狙う「精密な暗殺工作」
コッズ部隊が中東各地で代理勢力を育成する一方で、モサドはそのネットワークを破壊すべく、長年培ってきた暗殺工作のスキルとノウハウを駆使して対抗してきました。
その象徴的な作戦が、2008年に実行されたイマード・ムグニエ暗殺です。ムグニエは、レバノン・ヒズボラの軍事部門トップであり、過去に数々のテロ事件の黒幕とされ、イスラエルにとっては最重要の「個人標的」でした。
モサドはこの作戦において、ヒズボラ内部に長期間にわたりエージェント(協力者)を潜入させ、人的情報(ヒューミント)と通信傍受(シギント)を組み合わせてムグニエの行動パターンを綿密に把握していきます。そして、ムグニエがシリア・ダマスカスで車両を使用するタイミングを特定し、彼の車両に遠隔操作型の爆弾を仕掛け、爆殺に成功しました。
この暗殺は、コッズ部隊が育成した代理勢力に対して、モサドがどれほど精密で執念深い諜報作戦を展開しているかを如実に物語っています。ヒズボラやその他の親イラン組織をめぐり、モサドとコッズ部隊の水面下の攻防は、すでに軍事衝突の数十年前から繰り広げられていたのです。

イラン情報機関の劣勢が浮き彫りに──「後手に回る諜報戦」
今回の軍事衝突に先立ち、水面下ではモサドとイランの対外諜報機関「コッズ部隊」を中心とした熾烈な諜報戦が繰り広げられていました。しかし、その過程で徐々に明らかになってきたのは、イラン側の情報戦における劣勢です。
6月13日のイスラエルによる空爆では、イラン国内の軍幹部や核科学者の正確な居場所が事前に把握されていたことが判明しました。これは、モサドによる高度な潜入・情報収集活動が成功していたことを意味します。
攻撃後、イラン国内では「モサド工作員」と疑われる人物の摘発が呼びかけられましたが、被害が出た後の“スパイ狩り”では手遅れです。本来、こうした探索は、被害が出る前に完了していなければなりません。
実際、6月16日にはテヘラン周辺でモサド関係者とみられる4人が逮捕されましたが、空爆から数日後というタイミングは、明らかに後手に回っている印象を拭えません。
さらに6月15日には、イラン国内で2023年に逮捕されていたモサド工作員エスマイル・フェクリに対し、極刑が執行されました。これはモサドへの報復措置とみられますが、拘束済みの人物を今になって処刑しても、諜報上の実効性は乏しいと言わざるを得ません。
加えて、6月17日にはイランがテルアビブ近郊のモサド本部に向けてミサイルを発射し、「多数の人的被害を与えた」と発表しました。これは13日のコッズ部隊司令部空爆への報復と見られますが、その効果の真偽は不透明であり、やはり対応としては遅れた印象が強いままです。
こうした一連の動きからは、イランの情報機関が常にモサドの動きに追随している状態であることが浮き彫りとなっています。諜報戦において主導権を握られている状況は、今回の軍事衝突でも如実に表れ、イランにとっては情報面での形成不利を突きつけられる結果となったのです。

諜報で敗れたイラン──軍事面でも劣勢が鮮明に
イランは、軍事行動に先立つ諜報戦においてすでに劣勢であるため、戦場においてもイスラエルに対して優位に立つのは極めて困難な状況にあります。
今回の空爆では、モサドが事前に収集した精密な諜報情報に基づき、イラン国内のミサイル発射基地や防空システムが集中的に攻撃されました。その結果、イランの防空体制は大幅に機能を喪失し、イスラエルが制空権を事実上掌握するに至っています。
これにより、イスラエル空軍機は自由にイラン領内を爆撃できる状況が生まれており、軍事的主導権を完全に握っていると言えるでしょう。
イランに残された唯一の反撃手段はミサイル攻撃ですが、その手段すらも制限されつつあります。現時点で、ミサイル発射台の約3分の2が破壊されており、さらに弾薬備蓄にも限界があります。
米国のシンクタンクであるCSIS(戦略国際問題研究所)の分析によれば、イランが保有する弾道ミサイルは最大で約3000発と推定されており、そのうち実戦で運用可能なミサイルは約1000発程度に限られると見られています。今回の衝突において、イランは6月13日から18日までにすでに約400発を発射済みであり、残された実戦投入可能な弾道ミサイルはおよそ600発前後とみられます。
このまま戦闘が長引けば、イラン側は軍事的にも“消耗戦”に追い込まれ、戦局を挽回する手段は極めて限られる状況です。

イランが停戦に追い込まれることが必至か
これまでイランは、レバノン・シリア・イラク・ガザ・イエメンなどに親イラン組織を配置し、イスラエルを包囲する形で代理勢力を構築してきました。しかし今回の軍事衝突によって、それらの大半が事実上無力化されたと言ってよいでしょう。
現在、実質的に機能しているのはイエメンのフーシー派のみですが、こちらも米英連合軍の継続的な空爆により弱体化が進み、イランを支援できる余力は極めて限定的です。こうして、イランは外交・軍事・諜報の各面で孤立感を深めているのが実情です。
諜報面でも軍事面でも、イランが取り得る選択肢は日に日に狭まりつつあります。長期的に見れば、イランは第三国(中立的な大国など)による仲介を得て停戦に向かうほかない状況に追い込まれていくでしょう。
この結末は、ある意味で、イスラエル特務諜報庁モサドが約半世紀にわたり築き上げてきた「暗殺工作」と「情報優位」による勝利とも言えます。今回の軍事衝突は、単なる武力衝突ではなく、情報戦における長年の蓄積が軍事的成果へと結実した、その象徴的な一例であったのです。

以 上



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