モサドと比較して見える、日本の情報機関の弱点と限界(SPY-NE039)
イスラエルとイランの12日間戦争で明かされた諜報戦
6月24日、イランはイスラエルとの停戦合意に至ったと発表しました。これは、6月13日から12日間にわたって続いた軍事衝突の末に成立したもので、仲介役を務めたトランプ米国大統領は、これを「12日間戦争」と表現しています。
イスラエルとイランは、昨年4月に史上初めて直接的な軍事衝突を経験して以降、今回は両国にとって過去最大規模の攻撃の応酬となりました。この衝突の背景には、長年にわたり水面下で繰り広げられてきた両国の諜報戦があります。
今回の戦争では、緻密な諜報活動と軍事作戦が高いレベルで連携し、圧倒的な戦果を上げました。その意味で、この一連の動きは、現代インテリジェンス史に残る事例として注目されるべきものとなっています。

イランを敗北させたモサドの諜報工作活動
イスラエルの対外諜報機関「諜報特務庁」、通称モサドは、軍事衝突の数か月前からイラン国内に工作員を潜入させていました。彼らは現地に秘密アジトを構築し、無人機などの装備を持ち込むと、イランの軍事施設や軍幹部、さらには核開発に関与する科学者の自宅を対象に、内偵調査を進めていたのです。
6月13日、イスラエルがイランに対して先制攻撃を開始すると、潜伏していたモサドの工作員たちは同時に破壊工作を実行に移しました。ミサイル発射台や防空システムをドローンや爆発物で無力化し、加えて、事前に特定していた軍幹部や科学者の住居にドローンを突入させ、次々と暗殺を実行していきました。
この初動作戦によって、イランの反撃能力は大きく制限され、防空力の喪失によりイスラエル軍は空の優位を確保しました。イラン側も急ぎモサドの工作員を捜索し始めたものの、すでに対応が遅れており、決定的な打撃を防ぐには至りませんでした。
イスラエルの諜報優勢は、軍事面での優勢へと直結し、イランは最後まで主導権を握れぬまま、米国の軍事介入を経て停戦を余儀なくされたのです。

なぜモサドは「最強」と呼ばれるのか
今回の軍事衝突で、その存在感を世界に知らしめたイスラエルの対外諜報機関――モサドとは、一体どのような組織なのでしょうか。
モサドは、イスラエルに対する脅威となる組織や個人に対し、国外での暗殺工作を含む直接的な行動を数多く実行してきました。世界には、日本をはじめとする様々な対外諜報機関が存在しますが、モサドはその中でも「世界最強」との呼び声が高く、その実力は群を抜いています。
その理由については、6月25日にテレ東BIZのYoutubeチャンネルで公開された特集番組「【緊急企画】イスラエルとイランは今後どうなる?池上彰×佐藤優 軍事衝突について語りつくす」にて、元外務省主任分析官の佐藤優氏が解説しています。
佐藤氏は、モサドが「世界最強」と評される所以として、特に際立つ3つの特徴を挙げており、他国の諜報機関には見られないモサド独自の性質が明らかになっています。

他に類を見ない意味不明な採用試験
佐藤優氏によれば、モサドの採用試験は常識では考えにくい、極めて異質なものだといいます。ある日突然、深夜近くの時間帯に、最終試験の実施が通達されます。指示される内容は、特定の電話番号を伝えられた上で、身分証明書を一切持たず、すぐにテルアビブ中心部にある首相府まで赴くように、というものです。
一見して、これのどこが採用試験なのか理解できませんが、実は裏で重要な仕掛けが用意されています。モサドの試験官は、試験の直前に地元警察へ匿名で通報を入れておくのです。その通報内容は、「本日深夜、首相府周辺に不審者が現れる」というもの。
モサドからの情報とあらば、警察も警戒を強め、現場に警官を配置して不審者の出現を待ち構えます。そんな中、事情を何も知らされていない受験者が、身分証も持たずに首相府周辺に現れるのですから、当然のように職務質問を受けることになります。
まるで罠にかけるかのような試験ですが、これこそがモサド流の選抜方法。極限状況下での対応力を見抜くための、他に類を見ない試験なのです。

予想外の「事故」に遭遇したときの対応力を測る
突然の職務質問に戸惑う受験者は、次第に焦り始めます。そして、最終試験の直前に伝えられた電話番号が頭をよぎり、そこへ連絡を取って自分が採用試験の受験者であることを説明し、警察への助けを求めようとします。
この行動は一見、冷静かつ合理的な対処に見えますが、実はこの時点で不合格と判定されてしまいます。というのも、この試験の真の目的は、予期せぬ「事故」や突発的なトラブルに直面したとき、自力でその場を乗り切る判断力と行動力が備わっているかを見極めることにあるからです。スパイ活動に長く関わるほど、「事故」と呼ばれる予想外の事態に遭遇する可能性は高くなります。

たとえば、任務中にすべての通信手段が突然断たれ、協力者や所属組織との連絡が取れなくなる状況がそれにあたります。電話やインターネットでさえ、時には大規模な障害で完全に不通になることがあり、連携が取れなくなれば、スパイも組織も立ち往生してしまいます。
では、通信手段を使わずにどうやって意思疎通を図るのか。その場で即座に代替策を考え、状況を主導権ごと掌握しようとする「思考・判断・行動」が、スパイには不可欠なのです。
モサドは、こうした想定外の「事故」にどう向き合うかによって、候補者の適性を見極めているのです。
プロレベルを前提とした身分偽装
佐藤優氏によれば、モサドの諜報員には「絵描きとして成功する者もいる」と語られており、また「モサドは研修期間に二つの偽装で(身分を)身に付ける」ともされています。つまり、モサド諜報員は外国への潜入を前提としており、その際に正体を悟られないための高度な身分偽装が必要不可欠だということです。
この身分偽装を身に付けるために、モサドでは長期にわたる徹底した研修が行われます。その研修には年単位の実地就業期間が設けられ、短期間の経験では通用しない、本物と見紛うほどの「職業としての完成度」が求められます。
実際に、モサドの諜報員の中には、10年以上にわたってイラストを描き続け、インターネット上で発表・販売し、それだけで生計を立てる者もいます。彼らは、見た目にもプロの絵描きと何ら変わらず、収入も実際のプロと同等かそれ以上です。外から見て、その人物がスパイであると疑う人間は、ほぼ皆無でしょう。
佐藤氏が指摘するように、「絵描きとして成功している」ことが、完全な身分偽装の証となる――それこそが、モサドの身分偽装が圧倒的だと評価される理由のひとつなのです。

スパイ退職をも見据えた身分偽装
佐藤優氏によれば、「スパイに“事故”はつきもの」とされています。前述の通り、「事故」とは予兆なく突然起こるものであり、長年スパイ活動に従事していれば、誰もがいつか必ず遭遇するリスクを抱えています。
ときには、スパイ本人にまったく非がないにもかかわらず、任務の失敗によって精神的・肉体的に深刻なダメージを受け、諜報活動を継続できなくなるケースもあります。その結果、組織を辞めることもできず、不本意なまま所属し続ける“壊れたスパイ”が生まれてしまうのです。これは本人にとっても、組織にとっても望ましいことではありません。
しかし、仮にスパイが身分偽装の研修を通じて“手に職”を持っていたとしたらどうでしょうか。たとえば、絵描き、エンジニア、翻訳家など、スパイを辞めた後でも食べていけるスキルを持っていれば、組織にしがみつく必要はなくなります。本人は心置きなく退職でき、組織も無理に引き止めることなく、円満に別れられるのです。
モサドは、こうした「出口戦略」までも見据え、身分偽装を将来の再就職手段としても機能させることで、スパイと組織の双方に無用なトラブルを生じさせないよう配慮しているのです。

裏切り行為を前提とした内部統制
佐藤優氏によれば、モサドの内部統制はこう説明されます。「組織への裏切り行為を自発的に申告すれば不問に付すが、内部調査によって発覚した場合は重罪に処す」と。つまり、裏切った事実そのものよりも、“どう発覚したか”が処分の分かれ目になるというのです。
スパイの世界では、所属組織への裏切りは珍しいことではありません。特に東西冷戦期には、米国・英国・旧ソ連の間で「二重スパイ」が暗躍し、数々の機密情報が敵対陣営へと漏洩しました。「二重スパイ」とは、表向きは忠誠を装いながら、実際には敵側へ情報を流す者のことです。
そのため、諜報機関にとっては、裏切りを前提とした体制づくりが不可欠です。可能な限り裏切りを未然に防ぎ、万一発生した場合には迅速に察知し、情報漏洩を最小限に抑える体制が求められます。
モサドは、スパイの裏切りを“起こり得る前提”として組織を設計しています。その中で飴と鞭を巧みに使い分け、「正直に自白すれば許されるが、隠し通して発覚すれば重い罰が待つ」というメッセージを明確にしています。この方式により、裏切りを隠すことが“損”になる心理状況を作り出しているのです。
スパイは、嘘をつくことを職業とし、長年にわたって身分を偽り続ける存在です。そのため、嘘をつく技術やごまかす能力は極めて高く、敵だけでなく、所属する自国の組織に対してもその技術が向けられる恐れがあります。モサドは、スパイという存在の本質を熟知しており、その危うさを前提とした厳格な管理体制を敷いているのです。

【比較】モサドと日本の「情報機関」
モサドの高度な諜報能力は、①スパイの採用方法、②身分偽装の徹底した研修、③裏切りを前提とした内部統制――という3つの柱によって支えられていると言えます。いずれも、スパイ活動において実際に起こり得る“あるある”な事態と、その対応策を熟知した上で組み立てられたものです。この点において、モサドは世界の諜報機関の中でも際立った存在とされています。
ここでは、この3つの視点を通じて、モサドと日本の「情報機関」を比較してみましょう。
日本の「情報機関」と呼ばれる組織には、内閣情報調査室をはじめ、警察庁(公安警察)、公安調査庁、防衛省情報本部、外務省の国際情報統括官組織といった、政府の情報コミュニティーの主要5機関が挙げられます。
これら日本の情報組織と「世界最強」とされるモサドを比較することで、日本のインテリジェンス機能がどのような位置にあるのか、またその課題は何かが、より明確に浮かび上がってきます。

ペーパーテストと面接が主体の採用試験
予測不能な事態への対応力を重視するモサドの採用試験に対し、日本の「情報機関」の採用プロセスは、主に公務員試験と面接によって構成されています。
たとえば、内閣情報調査室、公安調査庁、防衛省情報本部、外務省の国際情報統括官組織などは、それぞれ国家公務員採用試験などの合格者から人材を選抜しています。公安警察の場合は、警察官採用試験を経て一定の勤務経験を積んだ後、内部選抜により配属される形式です。
いずれの採用プロセスも、試験内容は一般教養や法律・経済といった知識分野が中心であり、インテリジェンス分野で求められる適性や判断力を直接測るものではありません。そもそも、これらの試験は情報活動のためではなく、一般的な行政職採用を前提とした制度です。
また、公安警察の内部選抜も、現場の上司による推薦が基本であり、推薦者自身がインテリジェンスに精通しているとは限らないため、的確な資質の見極めが困難です。
最終的には面接が行われ、人間関係構築能力などが評価されますが、その形式は民間企業の就職面接と大きな違いはなく、スパイ活動に不可欠な判断力や行動力を見抜く仕組みとは言いがたい面があります。なお、内閣情報調査室では、情報入手を想定し、喫茶店などで1対1の面談を行うこともありますが、それもごく一部にとどまります。

個々の主体性に依存した組織的アプローチに欠ける身分偽装
モサドがプロ顔負けの身分偽装を徹底しているのに対し、日本の「情報機関」では、そもそも身分偽装を職務として行うための法的根拠が存在しません。むしろ、職務中に身分を明かすことが義務づけられており、偽装行為は違法と見なされかねないのが実情です。
たとえば、公安調査庁が所管する破壊活動防止法第34条には、「公安調査官は職務に際して関係人から求められた場合、身分証を提示しなければならない」と明記されています。警察官にもこれと同様の規定があり、職務上の身分偽装やそのための研修を組織的に実施することは、制度上ほぼ不可能です。基本的には合法かつ透明性のある調査活動が求められ、原則として虚偽や偽装は許容されていません。
その結果、日本の情報機関では、身分偽装が必要となる場面においても、個々の職員の裁量と経験に依存するしかないのが現状です。現場レベルでは様々な偽装が行われていますが、それらの技術やノウハウが組織内で体系的に共有されることはなく、あくまで“個人技”の域を出ません。
加えて、仮に偽装が発覚し、違法行為と判断された場合、その責任は職員個人に問われ、処分の対象となる可能性すらあります。身分偽装という基本的スキルさえ、法と制度の制約の中で限定的にしか活用できない――それが日本の情報機関の実情なのです。

切りを把握しようがない「不祥事回避」優先の内部統制
裏切り行為に対して重罰で臨むモサドとは対照的に、日本の「情報機関」では、スパイ的裏切りを厳罰に処す法的枠組み自体が存在しません。そもそも日本には「スパイ防止法」がなく、処罰の根拠として挙げられるのは「特定秘密保護法」による罰則くらいです。
しかし、この特定秘密保護法も、対象となるのは「特定秘密」に直接関与する者に限られます。そのため、情報機関のすべての職員が適用対象になるわけではなく、多くの場合、最終的には国家公務員法や地方公務員法における「守秘義務違反」として処理されます。
ところが、この守秘義務違反についても、正式に適用すれば「処分事案」として公表しなければならず、それを嫌って内部処理にとどめるケースが少なくありません。結果として、表沙汰にならない範囲での軽い人事処分や給与減額といった対応にとどまるのが通例です。
こうした事情から、日本の情報機関では、裏切り行為を積極的に把握・摘発する姿勢が希薄であり、実際には「組織の不祥事として発覚しないこと」を最優先とした内部統制が働いているのが実情です。

イスラエルと日本の歴史的な違い
結論として、モサドはインテリジェンスという国家防衛の柱に全身全霊を注いでいるのに対し、日本の「情報機関」は組織の維持や内部秩序の確保に重きを置く構造になっています。
そもそも、日本には「スパイ防止法」も正式な対外諜報機関も存在せず、制度面からしてイスラエルとは根本的に異なります。イスラエルにはスパイ防止を目的とした法整備があり、対外諜報を専門とするモサドのような機関も存在します。両国の体制は、比較以前のレベルにあると言わざるを得ません。
その背景には、両国の歴史的事情があります。イスラエルは1948年の建国直後から、周辺のアラブ諸国との戦争に突入し、常に侵略の脅威にさらされてきました。限られた国土と人口の中で国家を存続させるには、軍事力だけでなく、情報戦を制するための高度な諜報力が不可欠でした。
兵力に限界があるイスラエルにとって、諜報活動は国家の生死を分ける最前線であり、モサドはその役割を担うべく進化を続けてきたのです。こうしてイスラエルは、インテリジェンス先進国としての地位を築いていったのです。
日本がイスラエルから学び得ること
かつて日本には、対外諜報を担う機関として陸軍中野学校が存在し、スパイの養成を行っていました。しかし、第二次世界大戦の敗戦によって同校は解体され、以降、日本では諜報活動そのものが「侵略戦争の象徴」としてタブー視されるようになりました。その結果、戦後の日本は、「情報機関」とは名ばかりで、最小限の諜報力しか保持できない体制が続いています。これは、軍事力が自衛隊という限定的な存在にとどまったのと同様であり、インテリジェンス後進国としての日本の出発点でもありました。
しかし、今回のイスラエルとイランの軍事衝突を通じて、国家と国民を守り、国益を実現するために、いかに諜報活動が不可欠な存在であるかが明白になりました。常に国家の存続をかけて情報戦を戦い抜くイスラエルの姿は、日本にとって、諜報という任務の重み、そして国家の責務とは何かを改めて問い直す契機となるはずです。

以 上



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