2025年08月:中国邦人スパイ拘束の徹底解説:今まさに学ぶべき!戦前のスパイ養成教育における「全てを疑う力」とは?

スパイニュース解説記事

水面下で激化する「スパイ戦争」

 いま世界では、武力を使わない“見えない戦争”が激化しています。それが諜報戦、すなわち国家間によるスパイ活動です。ウクライナ戦争、ガザ・イスラエル戦争、台湾有事。これらの背後では、各国の情報機関が水面下で情報収集や諜報工作を行い、衝突を引き起こす「引き金」となるケースもあります。

 そしてこの諜報戦は、日本も例外ではありません。2014年以降、日本人が中国で「スパイ容疑」で拘束され、有罪判決を受ける事例が相次いでいます。表向きは個人の罪とされますが、その背後にあるのは、国家レベルでの“諜報戦”の存在です。

 本記事では、近年急増する「日本人スパイ拘束」の背景にある中国の狙いと、日本の用いるべき思考法について、元スパイの視点から読み解いていきます。

「スパイ認定」されたアステラス社員の判決

 2024年7月16日、中国で「スパイ容疑」で拘束・起訴されていたアステラス製薬の日本人社員に、懲役3年6か月の有罪判決が言い渡されました。さらに、19日にはその判決文の中で、同社員が日本の「情報機関」から依頼を受け、中国の政治や経済に関する情報を収集し、報酬を受け取っていたと認定されていたことが報じられました。

 ただし、「情報機関」がどこかについては判決文では明示されていません。しかし、中国の関係筋や一部報道では、法務省の外局である公安調査庁を指すとの見方が広がっています。こうして日本人が「スパイ」と認定され、有罪判決を受けた——これは、日中間の諜報戦が更に深刻な局面に入ったことを示しています。

「認罪取引」に応じたアステラス社員・刑は3年6か月へ

 2025年7月28日、アステラス製薬の日本人社員は、有罪判決に対して控訴せず、刑が確定しました。複数の報道によれば、この社員は「容疑を認めれば刑が軽くなる」という中国の司法制度──いわゆる「認罪認罰制度」に応じていたことが明らかになっています。その結果、刑期が大幅に短縮されたとみられます。

 実際、2021年に「スパイ容疑」で拘束された別の日本人には、本年5月に、懲役12年の判決が下されています。それに比べ、今回の3年6か月という量刑は軽い部類に入ります。

これまで「スパイ認定」された日本人は少なくとも9人

 日本人の有罪判決に関する報道が続く中、2024年7月26日、ある重大な事実が明らかになります。それは、中国が「反スパイ法」を施行した2014年以降、「スパイ容疑」で拘束された日本人は少なくとも17人。そのうち9人が、日本の「情報機関」に中国の国内情報を提供し、その見返りとして報酬を受け取っていたと中国当局が認定していたというのです。

 ここでも、中国側が言う「情報機関」が具体的にどこを指すのかは明示されていません。しかし、懲役3年6か月の判決を受けたアステラス製薬の社員や、今年5月に懲役12年の有罪判決を受けた日本人については、報道で「公安調査庁」が情報提供先として挙げられています。

 そのため、一部メディアでは「拘束された9人すべてが公安調査庁に関与していた」との見方も広がっています。しかし、これらの認定はすべて中国当局側の主張に基づくものであり、公安調査庁からの公式な声明は現在までに確認されていません。事実関係はあくまで不透明なままです。

中国による「スパイ認定」はどこまで信じていいのか?

 日本人拘束者のうち9人が日本の「情報機関」に報酬と引き換えに情報提供していたというのは、あくまで中国側による一方的な“認定”にすぎません。刑期を終えて帰国した元拘束者の中には、こうした情報提供を認める発言をしている者もいますが、9人全員がそのように証言しているわけではありません。

 つまり、中国は「スパイ容疑」として一方的に主張し、日本人を拘束・起訴・有罪判決と進めた上で、最終的に「スパイ行為があった」と自ら結論づけているのです。そしてそこに、日本の「情報機関」との関係性まで“認定”することで完結させています。

 こうした一連の流れの中で発信される情報が、果たしてどこまで信頼に値するのでしょうか。当事者である中国が、自らに都合のよい情報だけを発信している可能性を念頭に置くべきではないでしょうか。

残る8人はなぜ「スパイ」なのか?

 では、拘束された17人の日本人のうち、残る8人はどうでしょうか?仮に中国の主張が正しいとしても、残る8人については現時点で、「情報機関」との関係性が確認できていないことになります。それにもかかわらず、「スパイ容疑」で拘束され、有罪判決を受けているのです。

 つまり、中国側は明確な証拠無くして拘束日本人を「スパイ」と認定している可能性があり、えん罪のリスクすら否定できません。これは、日本人であることだけを理由に「スパイ容疑」を適用しているのではないか、という懸念につながります。

 ここでも問われるのは、中国当局の「スパイ認定」が、どこまで信頼できるのかという点です。事実に基づいているのか、それとも恣意的な判断なのか——冷静な疑いの目が求められます。

「スパイ容疑」で最も多く拘束されているのは日本人

 実は、こうして拘束されるのは日本人だけではありません。中国が2014年に「反スパイ法」を施行して以降、駐在外国人の拘束事例が目立ち始めました。

 例えば、カナダでは施行直後に1人、2018年にさらに2人のカナダ人が拘束。オーストラリアでも2019年と2020年にそれぞれ1人ずつが拘束されています。米国では2016年に1人、欧州諸国でも数人が拘束されたと報じられています。韓国に関しては、2023年に1人が拘束され、これは「反スパイ法」の初適用と見られています。

 このように、日本人以外の外国人では拘束者が多くても数人にとどまっている中、日本人だけが少なくとも17人と突出しています──これは明らかに異常な数字です。もはや「反スパイ法」の主目標が日本人と言って過言ではありません。

日本人を拘束することで中国が得る利益とは?

 ここまで見てきたように、中国が「スパイ容疑」で日本人を集中的に拘束している背景には、明確な“意図”があるでしょう。それは、中国にとって、日本人をターゲットにすることで、得られる戦略的な利益がある、ということ。そして同時に、日本にとっては深刻な不利益が生じているという現実です。

 中国にとっては、ひとつの行動で「自国の利益を確保しつつ、相手国に打撃を与える」という、一石二鳥の効果が生まれる。まさに“おいしい構図”が成り立っているのです。では具体的に、中国が日本人の「スパイ容疑」拘束によって何を得ているのか──次に、その利益の中身を見ていきましょう。

中国が日本との諜報戦で優勢を強めている現実

 日本国内では、中国による日本人拘束について報道されるたびに、「中国からスパイと疑われないように注意すべき」との呼びかけが広がっています。そして、拘束日本人が日本の「情報機関」と関係していたと報じられると、一部からは「情報機関」への批判が出ます。

 こうした報道の一部で名指しされる「情報機関」は、しばしば公安調査庁です。結果的に、公安調査庁は、国内世論から信用を損なう可能性があり、今後の情報収集活動にも影響を及ぼしかねません。たとえば、公安調査庁に協力し、中国で情報を入手していた人物が「スパイ容疑」で拘束され、10年以上も帰国できない状況に陥るという過去を見れば、協力をためらう情報提供者が増えるのは当然です。こうして公安調査庁の情報網が先細りしていくでしょう。

 結果的に中国にとっては「日本からのスパイ活動を抑止できた」という意味を持ちます。言い換えれば、中国は日中間の諜報戦において、日本の攻勢を封じることに成功したわけです。その状況下で中国が日本への「スパイ活動」を強化すれば、日中の諜報戦は一方的に中国が攻勢を仕掛ける構図へと傾いていく可能性があります。

日本人拘束を通じた「偽装された宣伝工作」の可能性

 とすれば、中国が日本人を「スパイ容疑」で拘束し、その人物と日本の「情報機関」との関係を公に認定すればするほど、中国にとっては日中間の諜報戦をより一層有利に進められます。つまり、中国にとって重要なのは、個々の日本人がどのような行為で「スパイ容疑」に該当するかといった事実関係ではなく、日本の「情報機関」の信用を失墜させることです。

 これではもはや、実際に「スパイ行為」があったかどうかすら問題ではなくなるかもしれません。拘束日本人と日本の「情報機関」との関係性を、いかに「事実」として演出するかが必要となるわけです。実際、これまでの報道の多くは中国側の一方的な発表に基づいており、外部から検証する手段は限られています。

 したがって、中国が拘束拘束と日本の「情報機関」のつながりを演出し、自国に有利な印象を国内外に与える「宣伝工作」を行っている可能性も否定できません。

元日本兵・小野田寛郎に見る諜報の基本:「すべてを疑う力」

 ここに至っては、中国による日本人の「スパイ容疑」による拘束が、「宣伝工作」による諜報戦の一環と見るべきです。この状況を理解するには、「インテリジェンス」(諜報)という視点から物事を考える必要があります。

 諜報とは、情報収集を任務とするスパイにとって、情報を取り扱うための常識のようなものです。諜報の世界では、あらゆる情報を常に疑うことが基本中の基本です。これは戦前の日本に存在したスパイ養成機関である陸軍中野学校でも徹底して教えられていました。

 実際、この基本を体現した人物として知られるのが、第二次世界大戦の終戦から約29年にわたってフィリピンに潜伏した元日本兵・小野田寛郎氏です。小野田氏は、命令が公式に確認されるまで「戦争は終わっていない」と信じて疑わず、現地の噂話や敵のビラ、周囲の説得にも決して耳を貸しませんでした。

小野田寛郎氏に届いていたはずの「戦闘停止命令」とは何だったのか?

 小野田氏には、なぜこうした自体が生じたのでしょうか。1974年、小野田氏は、フィリピン・ルバング島で30年近く潜伏した末に帰国しました。その間、彼は日本の敗戦を信じず、米軍に対するゲリラ活動を続けていたのです。

 そもそも、1945年8月に日本が無条件降伏した際、戦闘の停止と武装解除の命令が、国内外すべての日本軍に伝えられました。これは、フィリピンに残っていた部隊も例外ではありません。事実、翌9月には、現地部隊を指揮していた第14方面軍司令官の山下奉文大将によって降伏文書に調印され、正式な「戦闘停止命令」と「武装解除命令」が出されました。

 つまり、小野田氏がいたルバング島にも、何らかの形でこの命令が届いていたと考えるのが自然です。にもかかわらず、小野田氏は命令を「本物」と認めず、約29年間にわたって戦闘態勢を崩しませんでした。では、なぜ彼は信じなかったのでしょうか。

スパイ教育を受けていた小野田氏が命令を疑った理由

 なんと小野田氏は、戦闘停止と武装解除の命令を、「敵軍による謀略」、すなわち嘘の情報ではないかと考えたのです。このような判断は、日本軍軍人としては異例なものでした。戦前の日本軍では、上官の命令は絶対であり、現地司令官からの指示に対して疑いを挟む余地はありません。実際、フィリピンに残っていた他の部隊の多くは、命令に従い武装を解除しています。

 では、なぜ小野田氏は命令を疑ったのでしょうか。それは、彼が「純粋な軍人」ではなく、スパイ養成のための教育を受けていたからです。小野田氏は終戦間際、陸軍中野学校の分校である「二俣分校」を卒業していました。この二俣分校では、ゲリラ戦を中心とした訓練が行われていましたが、それに加えて、スパイ活動や諜報工作に関する教育も施されていたのです。

 特に重要だったのが、「謀略論」と呼ばれるスパイ教育科目です。ここでは、「すべての情報は疑え」という教えが叩き込まれました。敵が流した嘘の情報に惑わされず、どこまで真偽と信じるかを見極める能力がスパイの基本だったのです。

 そのため、小野田氏が投降を呼びかける命令、ビラ、放送などを「敵の罠」と疑い、約30年にわたって潜伏を続けたとしても、それは彼の訓練に照らしてみれば、ごく自然な反応と言えるでしょう。

中国の欺瞞情報が招く、日本のインテリジェンス弱体化の危機

 ここまでは、陸軍中野学校で培われた諜報精神や、小野田氏の「全てを疑う力」を取り上げてきました。これらを踏まえ、日本人の「スパイ容疑」による拘束報道を改めて見直してみましょう。

 小野田氏は、終戦直後に発せられた日本側の正式な命令さえも「敵の欺瞞情報」として疑いました。たとえ日本側から出されたものであっても、信じなかったのです。それならば、日本側ですらなく、中国側から一方的に流れる情報にどの程度の信ぴょう性が存在するでしょうか。前述したように、中国は、たとえ虚偽の情報であっても、拘束日本人と日本の「情報機関」との関係を演出することで、日本の「スパイ活動」を抑制できるという戦略的な利益を得ます。

 こうした利益を得ようとする者の主張など、まさに「欺瞞情報」の域にとどまり、信じる価値が極めて乏しいといえるでしょう。

いまこそ求められる戦前日本のインテリジェンス教育の再評価

 戦後の日本では、陸軍中野学校や特別高等警察など戦前の諜報機関が、「侵略戦争の象徴」として批判的に捉えられてきました。確かに、情報収集活動が国民監視などの内向きに使われたという反省点があります。

 しかしながら、当時の諜報機関が有していたスキルとノウハウそのものは、当時はもちろん、現代の諜報戦においても通用するほど高度なものでした。特に、小野田氏に見られるような「すべての情報を疑う」という陸軍中野学校の教えは、諜報戦が激化する現代において必要とされるものです。

 そのスキルとノウハウを失ったままでは、日本が中国との諜報戦において不利な立場を強いられ続けるでしょう。いまこそ、日本が培ってきたインテリジェンス教育を見直し、国家としての情報機能を高める時ではないでしょうか。情報を受け身で受け取るだけでなく、それを疑い、分析し、背後にある意図を見抜く力――それこそが、今後の日本に求められる「情報リテラシー」なのです。

以 上

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