ベラルーシが邦人拘束を「スパイ容疑」と公表したことの意味(SPY-NE002)
ベラルーシが邦人拘束を国際社会に公表した意図とは?
ベラルーシ政府は、9月4日、同国国営放送を通じて邦人拘束を公表しました。この公表を行った報道メディアが、政府管理下にあると考えられる国営放送であり、これは、ベラルーシという主権国家が邦人拘束を国際社会に訴えかける意思に基づくことが明らかです。つまり、ベラルーシは、邦人拘束を国家意思として内外に示したのです。
故に、ベラルーシは、対日関係の悪化を考慮してもなお、公表することで得られる利益があると判断したことも明らかです。

拘束事案として報道される拘束者の身元や容疑事実などに重要性はない
本邦メディアの一部は、本件拘束を大々的に報じるとともに、国営放送による報道内容、拘束された邦人の身元、拘束容疑とされた事実関係などについて詳細に報じています。
それでは、報道内容の詳細を精査することで、邦人が拘束された事実関係の信ぴょう性を確保することができるでしょうか。事実関係の信ぴょう性が確保されることで、日本の国家と国民にどのような利益がもたらされ、不利益が被るでしょうか。
そもそも、ベラルーシにおける何かしらの情報が日本の国家と国民に利益となるだけの価値があるでしょうか。こうした価値は、スパイ拘束というリスクを冒してまで入手すべきでしょうか。
スパイ拘束という一過性に近い報道だけではこうした疑問は解けないままです。


一部メディアやSNS上では、ベラルーシでの邦人拘束について、拘束者の身元や拘束容疑の真偽に注目されているが、それだけでは事案の全容を解明できない。こうした事案はただの氷山の一角に過ぎず、大本と考えられる歴史的経緯の全体像の一つとして捉えることが大切だよ。

突然、邦人がスパイ容疑で拘束されるって明らかに唐突ですね。事案として明るみに出るまでに何らかのプロセスがあるということですね。
東西冷戦の終結に伴って衰退した諜報活動
こうして何かしらのスパイ拘束が明らかになった場合、明らかになる以前からスパイ拘束に至る理由や事情が存在していたと考えることが大切です。
歴史的に見ると、1989年に東西冷戦が終結して以来、国家間の諜報活動は縮小と衰退を繰り返していました。対立が解けると西側陣営も東側陣営も、互いを戦争仮想国としてみなす重要度が低下します。これに伴って、人員と予算を注ぎ込んでまで対立陣営から情報を入手する必要性も低下してしまい、国家の諜報活動は、縮小と衰退を余儀なくされます。
例えば、英国内務省保安局(MI5)は、冷戦終結後の1990年代に入って人員削減を余儀なくされます。米国においても、中央情報局(CIA)や国家安全保障局(NSA)でも人員削減や予算縮小が実施されました。日本においても、公安警察や法務省などで、暴力的な共産主義思想に基づく活動や団体などに対応する政府機関で、人員削減の動きがありました。

こうして各国で諜報活動を担当する政府機関が組織規模を縮小させざるを得なくなりました。反面、諜報活動に投入される諜報員も削減された結果、各国でスパイ容疑として外国人が拘束される事例も減少したと考えられます。冷戦下で互いを仮想敵国とした国家間では、スパイ拘束というリスクを冒してまで、諜報員を送り込む必要性も重要性も薄れたのです。
東西に分かれていた世界は、緊張緩和という流れの中で、軍事衝突の前哨戦としての諜報戦ではなく、外交交渉による関係修復が望まれたのです。スパイ容疑による拘束という報道ニュースは、多くの耳目を集めることがなくなり、人々の記憶からはスパイ活動という存在自体が忘れられていきました。

国際テロリズムの脅威と諜報活動の再活発化
1990年代末期から2000年代に入ると、国際テロ組織アルカイダをはじめとして国際テロリズムの脅威が世界各地で高まり、国際テロ対策の必要性が高まると、各国の諜報機関は再び、息を吹き返します。
しかし、国際テロ対策は、仮想敵にされたのが国際テロ組織という組織であり、主権国家ではありません。主権国家と組織という非対称戦の始まりであり、国家間の対等な外交交渉が入り込む余地がない対立です。故に、スパイ容疑の拘束が国際テロ組織から発表されることもなく、主権国家と国際テロ組織の間で、互いに拘束したスパイの身柄交換が行われることもありません。互いに対等な関係ではなく、そもそもテロ組織との交渉は、国際法や国際慣習の観点で原則として認められていません。
依然として、スパイ拘束という報道ニュースが世界中で流れることもほとんどなく、東西冷戦の終結から10年以上経過しても、スパイ活動という存在自体は日の目を当たることが無いままでした。

中国の経済的な台頭に伴い顕著となった外国人のスパイ拘束事案
世界が東西冷戦の終結と国際テロリズムの台頭を目の当たりにした間、1980年代に市場主義経済を本格化させた中国が目覚ましい経済的発展を見せていました。中国は、2000年代に入ると、高い経済成長率を実現して、GDPで日本を追い抜いて米国に次ぐ世界第二位に躍進します。中国は、世界トップレベルの経済力を備えることで、国際社会における地位も向上させ、国際的な影響力を示すようになります。これは、主権国家として、経済分野のみならず、政治、外交、文化、軍事そして諜報の各分野においても国際的な競争力を強めることを意味します。特に、諜報分野においては、1990年代後半から2000年代にかけて、米国や日本など西側陣営に対抗しようと諜報機関の人員と予算と権限を拡充することで、諜報活動を活発化させたのです。

折しも2000年代は、国際テロリズムの脅威が高まり、世界の目がその対策に主眼が置かれており、諜報活動における中国の台頭には必ずしも国際的な注意が十分払われていたとは言えません。国際テロリズムの脅威は、2010年代に入ると徐々に停滞し始め、2011年に米国がイラクから駐留部隊の大半を撤退させることで、各国の国際テロ対策は拡大から縮小へと舵を切りました。
世界が国際テロリズムの脅威に対する警戒を一段落させると、次は、中国による諜報活動が過去最大規模で展開されていることにようやく関心が向くようになったのです。2010年代においては、中国の諜報活動が国際的な問題として西側諸国の間で取り沙汰されるようになりました。そして、中国は、2014年に「反スパイ法」という法律を制定し、翌2015年から施行しました。これは、その法律の名称と内容から、他国のスパイ活動を徹底的に取り締まるという国際社会に対する中国の防諜意思とメッセージと捉えられました。
間もなく、中国国内では、スパイ容疑で外国人が拘束されるとの報道が世界中で流れるようになります。日本人のスパイ容疑による拘束も断続的に発生しているとされます。東西冷戦後からスパイ拘束という事案を忘れていた世界は、中国という仮想敵国となり得る主権国家の台頭によって、国家間のスパイ活動と改めて向き合うことになるのです。

ロシアのウクライナ侵攻に伴い警戒される外国人のスパイ拘束事案
中国の次は、かつての東西冷戦で東側陣営の一角を占めていたロシアによる諜報活動がクローズアップされました。2022年2月にロシアがウクライナに侵攻したことがきっかけです。
ロシア国内では、ウクライナ侵攻から間もなくして、米国人をはじめとして外国人がスパイ容疑で拘束されるとの報道が顕著となりました。ロシアは、ウクライナ侵攻に着手するとスパイ活動を取り締まる法律を強化したり、国内における情報統制や監視強化を行なっています。これは、明らかにウクライナ侵攻に伴う西側諜報機関のスパイ活動を警戒していることを示しており、これに対抗するための防諜政策を講じているのです。
例えば、2022年2月には、ロシア国内で日本の「スパイ活動」を名指しした報道番組が流されたとの報道があります(参考:『東洋経済』2022年2月25日付け電子版)。これは、ウクライナ侵攻に際し、日本をはじめとする西側諜報機関のスパイ活動を妨害する意図があり、ロシアが西側陣営のスパイ活動に対する防諜意思を示したと考えられます。
中国に次いで、ロシアという主権国家まで国家間の諜報活動で「宣戦布告」を行う事態となり、世界は、東西冷戦の終結以来となる本格的な国際諜報戦を迎えたのです。

国際対立が激化すればするほど熾烈さが増す国際諜報戦
中国の経済的台頭とロシアのウクライナ侵攻によって、中国・ロシアと西側諸国という国際対立が鮮明となりました。国際社会における各国の仮想敵は、一時的に国際テロ組織という非対称戦となりましたが、ここに来て再び主権国家と向き合うことになったのです。
対立が明確になった以上、国際諜報戦が激化するのは当然の流れです。ましてや中国から支持を受けるロシアと、西側諸国から支持を受けるウクライナとの間で戦争が発生しており、世界はもはや平時とは言えず、戦時下と言ってよい状況です。各国の諜報機関は歴史的に、二度の世界大戦を経て創設されてきたこともあり、諜報活動を活発化させる最大の好機ともなります。国際諜報戦が始まったことで、もはや日本も無関係でいるわけにはいきません。たとえ日本が中立的な姿勢を維持しようとも、中国やロシアからの諜報活動のターゲットから逃れることはできません。

熾烈な国際諜報戦の中に巻き込まれていく日本
すでに、日本の諜報機関の一つがロシアから防諜を意図した「攻撃」を受けた事例も存在します。ウクライナ侵攻が始まって間もなく、同年3月、在日ロシア大使館はSNS上において、日本の公安調査庁がアゾフ連隊をネオナチとして認めている旨発信しました。その根拠となったのは、同庁が公表する『国際テロリズム要覧2021』の一部にアゾフ連隊に関する記述があったこととされます。
(以下外部リンクとなります)
折しも、前月にはウクライナ侵攻が始まったばかりということもあり、こうした発信は、日本の諜報機関が、ウクライナ国内で活動するとされるアゾフ連隊を「テロ組織」と認定しているなどと国内外で報道されました。
ロシアは、ウクライナ侵攻の目的の一つに隣国ウクライナの「非ナチ化」を掲げています。このため、同庁の記述を引用することで、ロシアの主張は、ウクライナ侵攻に反対する西側陣営の一角である日本の諜報機関の分析と一致しているとアピールしたとみられます。 同庁は直ちに、ロシア側の主張に反論するかのように公式HPで、同庁がこうした分析を下したわけでなく、公開情報の取りまとめとしてアゾフ連隊を取り扱った旨公表しました。その上で、誤解を与えかねないとして『国際テロリズム要覧2021』からアゾフ連隊に関する記述を削除するとしました。
(以下外部リンクとなります)
ロシア側の意図は定かではありませんが、同年2月には、日本のスパイ活動を名指しした報道番組を公開したことがありました。これに引き続いて、日本の諜報活動がロシアへの「利敵行為」ともとれる部分があったと国際社会に知らしめることで、日本の諜報機関に対する信用を低下させようとした宣伝工作とみられます。こうした信用低下によって、日本の諜報活動に対する情報源の協力意思が損なわれるように仕向け、ロシアに対する日本の諜報活動を妨害する意図があったかもしれません。
故に、ロシアは、国際諜報戦において、日本を「敵国」とみなしていると考えられます。もはや日本は、国際諜報戦における当事者となっているのでしょう。

ベラルーシにおける邦人のスパイ拘束が持つ意味とは?
こうした経緯と情勢の中で、ベラルーシにおいて邦人がスパイ容疑で拘束されるとの報道がありました。ベラルーシと言えば、北方領土問題など懸案が山積するロシアに比べて、日本との外交関係が深いとは言えない東欧の国です。そのベラルーシが、邦人を「スパイ容疑」として拘束した旨を国営放送で公表した以上、ロシアと同じく日本の諜報活動を「敵視」する意思を明らかにしたと考えるべきです。

日本の諜報活動を「敵視」する姿勢を明らかにしたベラルーシ側の意図は定かではありません。ただ、ベラルーシは、ロシアのウクライナ侵攻について直接的な軍事介入をしないまでも、国連決議などで一貫してロシア支持を表明しています。結果として、日本をはじめ西側陣営からは制裁措置を受けており、国際社会では、ベラルーシがロシアの同盟国又は友好国と見る向きがあります。
つまり、日本の諜報活動を「敵視」する立場を明確にしたのは、ウクライナ侵攻の当事者であるロシアばかりか、その同盟国又は友好国とみられるベラルーシまで加わったということです。これは、ロシアの周辺国まで日本の諜報活動を「敵視」するようにことを意味しており、要するに、国際諜報戦の「戦線」が拡大して、日本がロシア以外の国からも諜報活動上で「敵国」とみなされるようになったとみられます。
したがって、日本は、拡大の一途を辿る国際諜報戦に当事者として徐々に巻き込まれているのでしょう。これが、ベラルーシにおける邦人のスパイ容疑による拘束という報道が示す実情の一端です。


諜報活動は軍事活動と異なり、「目に見えない戦い」だ。そして、国際対立が激化すればするほど、諜報戦もまた拡大と激化の一途を辿る。軍事活動で言う世界大戦レベルの国際諜報戦が、世界各地を巻き込もうとしている。ベラルーシでの邦人拘束は、日本もその当事者であるとの事実を突きつけたと言える。

「目に見えない戦い」だけに、過去の世界大戦と異なって、その国際的な脅威もまた見えづらいわけですね。ただ、こうした脅威の一部が何かしらの弾みで、可視化されることがあるということですか・・・
以 上



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