情報リテラシー向上・情報総論004:情報の取捨選択による信ぴょう性の確保

情報リテラシー向上

情報と知識:情報の取捨選択による信ぴょう性の確保(IN-Literacy004)

「知るべき情報と知るべきでない情報を分ける」というスパイの掟

 スパイの世界には、いくつかの鉄則や掟が存在しますが、その一つに「知るべき情報と知るべきでない情報を分ける」というものがあります。これは、スパイ一般に、知るべき情報とは、自身に与えられた任務を達成するために必要なものを指し、知るべきでない情報とは、自身の任務を達成する上で不必要なものを指しており、この二つは分けられるべきであるという考え方です。スパイが取り扱う情報の中には、機微に触れる性質を有するものも少なくなく、情報保全の観点から情報漏洩を防ぐための最重要事項と捉えられています。

 そして、これを元に、スパイの間では、自分が何をしているのかを他のスパイに知られてはならず、同時に、他のスパイが何をしているのか知ってはいけない、という認識が定着しています。故に、スパイは、自らの手の内を曝け出すことを忌避する習慣に染まっており、多くのスパイが働いて、事務処理と情報報告を行う場面においても、他のスパイから何をしているか悟られないよう、書類を机上に置かず、書類を机上に置く場合は裏返したり、人の気配を感じたらパソコン画面を閉じるなどします。また、他のスパイが何をしているのかを気にしていない素振りを見せて、そっけない態度を見せます。

このスパイの掟の本質もまた「忘却の訓練」

 しかし、スパイたちのこうした認識は飽くまでも表面的であり、「知るべき情報と知るべきでない情報を分ける」という掟の本質を捉えたとはいえません。

 この掟が示す本質とはやはり「忘却の訓練」でしょう。つまり、知るべき情報とは、忘れてはいけないものであり、知るべきでない情報とは、忘れてよいものということです。あらゆる情報に高い感度を持って生きる以上、高度な情報化社会の到来に拘らず、日常的に無数の情報に触れることになりますが、これを全て記憶することなど不可能です。故に、無数の情報を全身で浴びつつ、瞬時に要不要を判断し、必要な情報をいつでも復元できるよう記憶することが必要となります。これは、忘れてよい情報を切り分ければ切り分けるほど、忘れようとしても忘れられない情報が残り、これこそ忘れてはいけないことが分かります。

 スパイの訓練の一つである「行動記録」とは、この切り分けができるようになるため、先ずは日常生活で見た聞いた事柄全てを情報と捉えられるよう意識することが求められます。
 例えば、スパイ小説『ジョーカーゲーム』の選抜訓練における試験官の質問は、スパイ志願者が日常的に見た聞いた事柄をどの程度情報として捉えているかを確かめるためです。 その上で、情報として見た聞いた事柄に対し、要不要を評価することで、いつでも復元できるよう記憶しているかも試しています。これは、高度な情報化社会の有無に拘らず、スパイたちが歴史的に繰り返してきた情報収集の手法の一つであり、そもそもスパイにとっては古来から、人間社会が無数の情報で溢れているように見えているはずです。故に、現在のような高度な情報化社会が到来しても、「忘却の訓練」の意義と目的は失われません。むしろ、無数の情報を取り扱うという点で、その意義と目的はますます増していくでしょう。

「忘却の訓練」が間違いを受け止めて信ぴょう性につながる

 「忘却の訓練」は、不要と判断可能な情報を早々に忘れることで必要な情報の記憶を高めることですが、ここでやはり障害となるのは、忘れることへの拒否感とともに、間違えることへの恐怖でしょう。それは、実は不要な情報を覚えてしまったり、実は必要な情報を忘れてしまったりという間違いに囚われることです。

 繰り返しますが、情報の世界では、間違えることがどこまでも前提として捉えられており、むしろ間違うことが当然であり、間違えることをいかにコントロールするかを考えることが情報の収集と分析に求められています。たとえ不要な情報を覚えてしまったとしても、必要な情報を忘れてしまったとしても、それは、未来永劫にわたって続く間違いではなく、引き続き無数の情報を切り分けていく中で、その間違いを修正していく機会はいくらでも存在します。こうなると、情報に常在する間違いとは、その存在自体を気にする必要すらありません

 間違いの常在よりも気にすべきは、どの程度間違っているのかという間違いの多寡や程度の方でしょう。スパイと情報の世界において、忘れたくても忘れられない情報とは、忘れない方がよいことを示唆していると捉えられます。なぜ忘れない方がよいのかといえば、それは多くの事象において共通しており、共通する度合いが大きければ大きいほど、間違いが少ないと期待されるからです。言い換えると、それは、人間社会において無数の情報の中に共通する部分であり、この共通部分は、人間社会の全般に通底するかもしれないとも考えられます。この共通点を以て行動すれば、人間社会のいかなる場面においても、有用な結果を生み出すかもしれないという見方です。

元スパイ・クマさん
元スパイ・クマさん

間違えるとか、忘れるとかは、飽くまでも知識を覚えたり、復元する際に注意すべきであって、情報ともなると話は別なんだよね。知識と情報は違う、という前提条件を身につけよう。

新人スパイくん
新人スパイくん

学校のテストで、間違えるとか忘れるとかは減点対象でしたし、どうしても抵抗が残るんですよね〜

情報を常時浴び続けて忘却を繰り返す

 この共通部分とは、主に具体的な活字で示される知識と異なり、抽象的であるため、共通部分を示す情報を、様々な事象から把握するためには、情報を浴び続けることが必要となります。そして、情報を忘れ続け、それでも忘れられないぼんやりした部分があるかどうかを確認するほかありません。

 これは、一度でできる性質ではなく、日常生活レベルで繰り返さなければなりません。故に、スパイの「忘却の訓練」は、日常レベルで情報を浴び続けて忘れ続けるという明確な意識を植え付けることが目的です。スパイという情報を取り扱う仕事に就いた以上、情報に全てを捧げるかのような意識が求められるのです。スパイに求められるスキルは様々ですが、情報を取り扱う仕事であるために任務中であろうがなかろうが、常に無数の情報に接することで鋭敏な思考と感覚を研ぎ澄まさねばなりません。

 スパイは、こうして情報感覚を取り入れるとともに、スパイになる前から身につけた知識に関するスキルとの区別を図るのです。故に、情報と知識の違いを理解することが、信ぴょう性をはじめとする情報リテラシーへ繋がっていきます。

一度で覚えられる知識と忘却の繰り返しで覚えられる情報の違いを理解する

 知識は、個々人によりますが、一度見聞きしただけで正確に覚えることが可能です。知識は、その正しさが歴史的な検証を経て、その意味や内容が確立されており、確立されているが故に活字で記録することができ、その記録を正確に記憶して復元することが可能です。

 一方、情報は、そもそも歴史を経るほど長期にわたって存在しておらず、検証を経ていないため、状況次第でその意味や内容が刻一刻と変化してしまい、活字にすることができないため、記憶したり、復元するに不向きです。

 つまり、こうした違いを理解しておけば、情報と知識を区別することは可能です。

変わることのない知識と変わり続ける情報との違いを理解する

 また、知識は、主に活字で記録されているため、その意味や内容が変わることはありません。しかし、情報は、ほとんど活字にされておらず、その意味や内容に変化を避けられません。特に、状況次第では、わずかな時間で価値を失ったり、真逆の意味や内容に変化することすらあります。情報は時に、生鮮食品のように「鮮度が大切」とも呼ばれ、長時間の保管や移送が困難な時があります。壊れやすく脆いものでもあり、取り扱い方次第では、価値を落としてしまうこともあり、デリケートな性質とも言えます。

活字で示される知識と活字で示されない情報との違いを理解する

 そもそも、知識は主に活字で示されており、活字を理解することができれば誰でも入手が可能です。しかし、情報は、活字で示されることが少なく、その入手は、人間の五感を動員しなければりません

 当ブログで連載中の「元スパイ・クマさんの実はロクでもない⁉️PSIA」では、新人スパイくんが「行動記録」という研修課題を与えられますが、これは、人間が目に見えない部分で、いかに全身からあらゆる情報を外部に放っているかを知ることが目的の一つとされています。スパイの間では、自身の些細な一挙手一投足から情報が外部に漏れると認識されており、それは、情報がいかに活字で可視化されにくいかを物語っています。

 例えば、新人スパイくんは外出時に、ある書店に入って、旅行雑誌コーナーに向かい、沖縄の旅行雑誌を手に取りましたが、これだけで、外部にいくつかの情報が漏れ出ていくことが指摘されています。この指摘に対し、新人スパイくんは、事態の深刻さにイマイチ理解できずにいますが、自分自身の趣味趣向の一端が窺われてしまい、それくらい些細なことから様々な類推が情報として入手可能となることを知って、思わず愕然とします。

具体的な知識と抽象的な情報という性質の違いを理解する

 こうした些細なことから情報が得られてしまうことには理由があります。情報とは、人間の五感全てを動員することで得られるとされるくらい抽象的なためです。抽象的であることは、一度や二度、五感で体感することができても、意識して記憶したり、復元したり、言語化したりすることは困難です。繰り返し何度も体感することで、徐々に意識することが可能となります。

 知識は、こうして抽象的で正しさの曖昧な数々の情報の一部が歴史的に繰り返し検証されることで、具体化されて、言語化されて、書物に記録されることで人間社会に根付いたものです。そもそも情報と知識は、形成過程の時系列が同一ではなく、情報から知識が誕生したという順序を考えれば、同一の存在ではありません。故に、情報と知識は区別が可能です。

知 識情 報
記 憶一度で可能何度も繰り返すことが必要
変 化変わらない何度も繰り返し変わる
入手ソース活字人間の五感
見た目具体的抽象的

違いを理解した上で情報の信ぴょう性という特質に着目する

 情報と知識の違いを理解して、区別できるようになると、人間社会には、忘れることや間違えることが少なからず存在していることに気がつくはずです。社会は常に、正しい知識に従って動かされているばかりではなく、正しいのか正しくないのか分からない不透明さによって動かされている部分もあります。

 例えば、人間の生命や健康、医療、公共交通、公共施設などは、忘れたり間違えれば公に深刻な結果を起こしかねないため、限りなく正しい知識を根拠として手当されるべきです。
 一方、深刻な結果を及ぼす可能性が低いと考えられる分野においては、必ずしも正しくない情報を根拠とされているという事情もあります。例えば、ギャンブルを挙げますと、いたずらに射倖心を煽ることで消費者の人生や生活を破壊すると考えるに足りる金銭的被害をもたらさない範囲内にとどまる限り、消費者は、必ずしも正しくない様々な情報を得て、その情報を試しながら浪費に興じています。

 つまり、結果の重大さに応じて、正しい知識が必要なのか、それとも必ずしも正しくない情報であっても問題ないのか、というように選択する根拠が異なってくるのです。こうした根拠の違いに応じて、起こり得る結果の重大性を想定し、その想定から逆算して、どこまで信じてよいか、どこまで信じてはいけないのかと結論づけることを「信ぴょう性」と言います。

 例えば、手術を受けるに当たっては、専門家の正しい医療知識を根拠とするべきであり、100%に限りなく近い可能性で成功すると信じられなければなりません。言い換えますと、100%に限りなく近く信じられることが必要となります。
 一方、ギャンブルの場合、100%に限り近い可能性で当てられる情報など存在しておらず、50%の可能性で当てられるという情報があれば、賭けに出るという選択はあり得ます。ギャンブルという浪費であれば、20%の可能性しか当てられない情報、つまり80%は正しくない情報であっても、これを根拠にして賭けに出るという選択も否定できません。浪費である限り、ギャンブル自体を楽しむことが最優先され、ギャンブルに勝つことが必ずしも目的とされていないはずです。このため、勝つ可能性が低い情報であっても、これを根拠に決定を下して行動することは不自然ではありません。つまり、20%しか信じられないとしても構わないということです。

公に重大な結果をもたらすおそれ公に重大な結果をもたらさない
想定した正しさが生じる可能性高くなくてはならない低くても問題ない
信ぴょう性の程度可能性の高さに応じて信じられる必要がある可能性が低くても信じられれば問題ない

忘れることや間違えることを正面から受け止める

 結果の重大性を想定し、その想定から逆算して、どこまで信じられるかという信ぴょう性に応じて、判断して行動を起こすことこそ、情報リテラシーの一つです。情報リテラシーは、忘れることがあっても、間違っていることがあっても、これらを前提に含めた上で、深刻な結果をもたらす可能性が低いと信じられる情報があるならば、これを根拠に決定を下して行動するように主張します。そもそも、忘れることや間違えることは、人間の摂理であり、ゼロにすることは不可能という前提から出発しているわけです。人間が取り組むべきは、忘れることや間違えることを必要以上に恐れずに正面から受け止めるということです。

 正面から受け止められないのであれば、言い換えますと、十分に信じられないのであれば、そもそも決定と行動自体を避けるべきです。どこまで信じられるかという問いにこそ、情報が大きな役割を果たしているのです。情報無くして何も信じられないのは自然であり、故に、古代からあらゆる情報が収集されては消滅していき、そのほんの一部が知識という形で、想定された通りの結果を生じさせることができるという正しさを具現化してきました。

信ぴょう性の高さを追求する

 無数の情報を集めることの目的は、信ぴょう性を少しでも高めるためです。無数の情報には、共通点と考えられる部分が存在しており、この共通部分の多さこそ、想定された通りの結果が生じると信じるために必要です。逆に言えば、信ぴょう性を高めるためには、忘れることや間違えることを正面から受け止める、つまり忘れてしまおうが、部分的に間違いであろうが構わずに、あらゆる情報に接することを続けねばなりません。接する前の段階から、情報の価値を忘れることや間違えることで推し量ってはなりません。こうした偏見を交えることなく、ニュートラルにあらゆる情報に接し続けることが重要です。

知識と信用が信ぴょう性の確保を阻む

 忘れてはいけない、間違えてはいけないという知識の特質とは、どこまでも区別されるべきです。情報を取り扱う上で、こうした知識の特質を混ぜ合わせてしまうと、信ぴょう性という情報の特質が不透明になってしまいます

 さらに、信用を喪失しないよう忘れてはいけない、間違えてはいけないという思考も同様です。無制限かつ無原則に忘れてよい、又は間違えてよいということではなく、むしろ忘れても間違えても、致命的なまでに信用を失うことはないレベルにとどめることが重要です。信用の喪失を最低限度に抑えることができれば、情報の信ぴょう性が多少低くても、より広範な領域に向けて決定を下して行動すること可能となります。

 ビジネスに例えますと、成功する可能性が低くても成功が生じると信じて勝負に打って出ることができ、結果的に大きな成果を収めることも不可能ではなくなります。信用をなるべく失わないようにしつつ、成功の可能性が高いビジネスのしか信じられないのであれば、勝負に出られる領域が狭くなってしまい、自縄自縛に陥りかねません。やる前から信用を失うことを気にするよりも、信用を失ってもなお、失った部分を取り戻すことが可能なくらい成功を収めることができれば、結果的に問題ありません。信用に縛られている限り、どこまで信じられるかという信ぴょう性を確保することが困難になります。

元スパイ・クマさん
元スパイ・クマさん

要するに、正しいかどうか分からない無数の様々な情報を浴びて、情報の間違いや情報を忘れることを必要以上に恐れず、情報の多くには共通した部分があることを発見すれば、どこまで信じてよいか、信じることができるかを判断することができるんだよ。・・・分かるかな?

新人スパイくん
新人スパイくん

う〜ん・・・難しい・・・よく分かりません・・・いつか理解できる日が来るのかな・・・

以 上

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