第02話002:嘘こそスパイにとって最大の武器であり弱点(SPY-EN007)
- 「ヨルの夫のロイド・フォージャーです」、「あの・・・夫でなく恋人でいいんですが・・・」、「しまったぁ。自分の任務とごっちゃに」(『SPY×FAMILY』第02話より引用)
- 「恥ずかしながら僕がバツイチ子持ちなもので色々気にされていたかも」(『SPY×FAMILY』第02話より引用)
- 「素敵です。ヨルは両親を早くに亡くし、幼い弟を養うために必死で頑張ってきました。自分を犠牲にしてまでも」(『SPY×FAMILY』第02話より引用)
- 「誰かのために、何かのために仕事に耐え続けることは並の覚悟では務まりません。それは誇るべきことです」(『SPY×FAMILY』第02話より引用)
- 「患者のヒステリーがまだ収まっていなかったようで・・・」、「えっと・・・それは・・・近年の医学会では殴打療法というのが最先端でして・・・」(『SPY×FAMILY』第02話より引用)
- スパイはあらゆる嘘を使い分ける職業
- 嘘なくしてスパイの諜報活動は成立せず
- スパイの嘘を取り巻く環境の変化
- 嘘をつく必要がありながら監視や批判も甘受しなければならないスパイの自縄自縛
「ヨルの夫のロイド・フォージャーです」、「あの・・・夫でなく恋人でいいんですが・・・」、「しまったぁ。自分の任務とごっちゃに」(『SPY×FAMILY』第02話より引用)
黄昏は、別任務の困難を乗り越えてヨルとの約束を果たすべく、ヨルの同僚宅に姿を現しますが、同僚たちに対して、事前の想定でヨルの「恋人」と自己紹介するところ、誤って「夫」としてしまいます。直後、黄昏は、ヨルの事情と自分の任務が混同したことに気付きますが、もはや時遅く周囲は、ヨルが恋人どころか夫を連れてきたことに驚きを隠せません。
スパイは、身分偽装する上で、身分設定から思いつくことができる限りのストーリーを事前に想定しておき、実際の場面においては、想定しておいたストーリーを淡々とこなすよう訓練されています。こうした想定においては、小さなミスを複数発生させることまで含まれており、ストーリーを誤って説明してしまった場合、辻褄が合うよう修正することまで考えておかねばなりません。
Ⓒ『SPY×FAMILY』制作委員会・『SPY×FAMILY』第02話より引用
黄昏は、ミスを犯して一瞬焦った直後、直ちに平静を取り戻します。そして、ヨルが、同僚の一人から結婚していた事実を明かしていなかったことを詰問されると、返答に詰まるヨルを尻目に説明します。
「恥ずかしながら僕がバツイチ子持ちなもので色々気にされていたかも」(『SPY×FAMILY』第02話より引用)
黄昏は、自分の自己紹介ミスによって、ヨルにとって想定外の質問が生じてしまったことに対し、結婚していたことを明かせない事情があったとの趣旨の説明を返します。
こうした説明は、黄昏がヨルと出会う以前の段階で、「娘の父親」という偽装身分の設定上であり得る質問の一つとして想定していたと考えられます。娘役のアーニャがいることを前提として、妻役を選定する必要に迫られたという事情を鑑みれば、妻役となってくれる女性と出会った際、バツイチ子持ちであると打ち明けて、了解を取る必要があることは事前想定が可能です。黄昏は、こうした説明をいつか必ず行わなければならないと意識していたため、自分がミスを犯した直後であっても、問題なく辻褄を合わせることができたのです。逆にいえば、常に意識していなければできないとも考えられ、スパイは、こうした意識を常に維持して任務に取り組んでいるのです。
しかし、同僚の一人は、黄昏の説明に納得せず、ヨルの身の上に対して追及の手を緩めません。ヨルが過去に「いかがわしい仕事」をしていたことを暴露しますが、黄昏は、動揺することなく自然体で応じます。
Ⓒ『SPY×FAMILY』制作委員会・『SPY×FAMILY』第02話より引用
「素敵です。ヨルは両親を早くに亡くし、幼い弟を養うために必死で頑張ってきました。自分を犠牲にしてまでも」(『SPY×FAMILY』第02話より引用)
黄昏は、ヨルの身辺を洗う基礎調査でその経歴を把握しているため、そこから想定されるストーリーを考えられます。一般的に、両親を亡くして弟が一人いるという家族構成からはやはり、苦労して働いて弟との生活費を稼いでいるという生い立ちが容易に想像できます。ヨルの場合、自身と弟いずれも公務員であることを考えると、苦学して公務員に就職した過去が窺われ、ヨルに苦労した努力家という一面があるのは想像しやすいでしょう。
こうして黄昏は、ヨルの経歴を丹念に精査しながら、ヨルの身の上に起こり得るあらゆるエピソードを想像し、そこから人々の心を打つようなストーリーを話してみせたのです。もちろん、これは、スパイとしてあらゆる事態を事前に想定するという「想定問答」の賜物です。この徹底ぶりこそ、スパイの真骨頂と言えるでしょう。
Ⓒ『SPY×FAMILY』制作委員会・『SPY×FAMILY』第02話より引用
「誰かのために、何かのために仕事に耐え続けることは並の覚悟では務まりません。それは誇るべきことです」(『SPY×FAMILY』第02話より引用)
黄昏は「想定問答」に従って、整合性の取れたストーリーを自然体で説明しましたが、実は、それだけでは、十分に人々の心を打つことはできません。上記のセリフが流れ始めると、シーンが打って変わり、黄昏とみられる人物が物陰で銃弾を避け、負傷しながら拳銃を構えている様子が映し出されます。本作の展開上、これは、黄昏の過去の任務のワンシーンと考えられ、上記のセリフにあるように黄昏が必死に任務を遂行していることが窺われます。
黄昏は、上記のセリフにおいて、ヨルの身の上を話し始めましたが、引き続いて、自分自身のエピソードを回想することで、ヨルの事情が自分自身にも当てはまるよう抽象化してみせたのです。ヨルを引き合いに出して、これを自分自身に当てはめて見せることで、「想定問答」で描き出されたストーリーにリアリティーを持たせたのです。辻褄の合うストーリーを作り上げることは容易ですが、そこにスパイ自身の実体験に基づいたエピソードを組み込むことで、一般的にありふれたリアリティーを乗せることができるのです。
スパイは、「想定問答」であらゆる嘘を創作するとともに、創作されたに過ぎない嘘に対し、本当の出来事を適度に注入することで、嘘と見破られないためのリアリティーと感動を仕込むのです。
そして、上記のセリフにある「誰かのために、何かのために」とは、ヨルや黄昏にばかり共通することではありません。これは、多くの人々が自分以外の誰かのために何かのために生きることで、生きることの実感ややりがいを感じているという人間社会のありふれた前提が意識されています。追及の手を緩めなかった同僚を含め、その場に居合わせた人々は、黄昏の自己紹介ミスとヨルの「ふしだらな」過去をすっかり忘れてしまい、黄昏の言葉に聞き入ります。
黄昏のスパイとしてのスキルとノウハウによって、黄昏とヨルは難を逃れました。
Ⓒ『SPY×FAMILY』制作委員会・『SPY×FAMILY』第02話より引用
「患者のヒステリーがまだ収まっていなかったようで・・・」、「えっと・・・それは・・・近年の医学会では殴打療法というのが最先端でして・・・」(『SPY×FAMILY』第02話より引用)
一難去ってまた一難ということで、黄昏は、完了したはずの任務の残党から思いがけず追撃を受けてしまいます。
黄昏は、問答無用に襲ってくる暴漢に対応しつつも、同伴するヨルは事態を飲み込めずに戸惑うばかりです。そんなヨルに対し、黄昏は、「精神科医」という偽装身分に基づいて、無理矢理こじつけたとしか思えない説明を繰り返します。心中で動揺を隠せない黄昏は、「想定問答」においても、ヨルと同伴中に暴漢から襲撃されるという非日常的な事態を思い付かなかったかもしれません。
ただ、これは黄昏のミスと言えず、スパイのあらゆる「想定問答」においても想定外はつきものです。むしろ「想定問答」は、全てを事前想定して完璧に把握しておくことばかりを目的としておらず、想定できない事態に遭遇した場合、瞬時にその場で「問答」を重ねて解決策を模索することもまた目的の一つです。つまり、スパイは、いかなる想定外によっても思考停止に陥らず、無理矢理でも構わないから思考を継続して、問題解決を実行するよう求められているのです。決して完璧主義であってはならず、ミスや危機がいきなり生じることを常に前提として生きています。
黄昏もまた、想定外の襲撃を受けて、ヨルから説明を求められた際、心中で「えっと・・・」と悩みながらも、短時間の思考で返答を捻り出しました。整合性が不十分であることは黄昏自身、百も承知でしょうが、それ以上に重要なのは、ヨルからの質問に間髪を入れずに返答したことです。ここで、思考停止してしまい、ヨルからの質問に「あ〜」、「その・・・」などと言葉に詰まってしまえば、ヨルから信用を得ることはできなかったかもしれません。たとえ、説明内容が不自然であっても即答することの方が優先される場面であったのです。
Ⓒ『SPY×FAMILY』制作委員会・『SPY×FAMILY』第02話より引用
スパイはあらゆる嘘を使い分ける職業
黄昏は、自他ともに認める西側諜報機関で随一の諜報員とされています。それは、黄昏が、①あらゆる場面や事態を事前に想定して虚構のストーリーを創り出し、②このストーリーを澱みなく人間の心理に訴えかけるように語り、③たとえ想定外の場面や事態においても即興で嘘を創り出すという3点を兼ね備えていることが根拠でしょう。
黄昏に限らず、全てのスパイは、スパイとしての道を歩み始めると同時に、現場を実践的に想定した「嘘をつく」訓練を叩き込まれます。嘘をつくことは一般的に、信用を失う代表例と言って過言ではなく、人間は、古今東西に限らず、生まれながらにして嘘をつかないように、正直かつ素直に生きるよう教えられます。特に、宗教の中には、嘘をつくことを戒律上の禁忌としているものもあります。
しかし、黄昏の例を見ても明らかなように、スパイは、優秀であればあるほど「嘘をつく」ことが洗練されていきます。むしろ、必要であれば、積極的に、意図的にそして恣意的に「嘘をつく」ことが求められる仕事であり、これもまた古今東西に限らず、全てのスパイに求められてきました。
一般人がスパイの仕事に就くということは、これまで咎められてきた嘘を、積極的につくという真逆の境遇へ放り込まれることを意味します。これは、新人スパイが必ず経験する試練であり、嘘をつく才能に恵まれた者を除いて、全てのスパイが乗り越えてきた登竜門でもあります。

嘘なくしてスパイの諜報活動は成立せず
スパイは、社会的信用を失うはずの嘘を、むしろ社会的信用を獲得するために使い分ける職業とも言えます。
誰しも、子供の頃から嘘をついてはいけないと教えられて成長します。これは、無制限かつ無原則な嘘が社会中で乱雑に生じれば、社会的な混乱が生じることが明らかなためです。人間社会は、決められたルールや道徳を基盤として、そこから生じる秩序に人々が従うことで平穏が維持される構造となっています。ルールや道徳を守っていないのに守っていると嘘をついたり、秩序に従っていないのに従ったと嘘をつくことが広まれば、社会的混乱が生じてします。故に、嘘をつかないことで社会的信用を得ることができ、嘘をつけば社会的信用を失うことになり、社会的信用の多寡が社会生活の豊かさや安定に繋がるよう仕組みが出来上がっています。
一方、スパイは、嘘をつきますが、これは無制限かつ無原則についてよいとされていません。スパイと言っても、近代諜報機関においては全員、国民国家に奉仕する公務員に過ぎません。公務員である以上、法令によって義務を課され、行動を制限されており、当然ながら信用失墜行為を禁じられています。スパイと言えども、原理原則に立てば、公務員としての信用を失墜させるような嘘をつくことを法的に認められていません。
しかし、スパイの最たる任務は、敵対国、敵対組織そして敵対勢力の内部に情報源を構築することにあります。そして、敵対関係にある以上、自らの身分を明示して、敵対者に接触することは事実上不可能であり、故に、自らの身分を偽ることで、意図的かつ恣意的に嘘をつく第一歩が始まるわけです。
スパイが嘘をつくという人間社会の禁忌を犯してでも嘘をつくことには、特殊な事情が存在します。それは、敵対者の内部に情報源を構築し、そこから自らが所属する国家と国民の利益になる情報を引き出すことにあります。つまり、スパイは、嘘をつくことでしか得られない公の利益を確保するために、嘘をつく職業なのです。
一般人は、嘘をつかないように社会生活を送ることで社会的信用を得るとすれば、スパイは、嘘をついて仕事することで社会的信用を得るのです。スパイは、嘘について一般社会と真逆の立場にありながらも、社会的信用を目指すという点において、一般人と本質的に同じベクトルを生きています。故に、スパイである以上、嘘をつくことに長けていなければならず、嘘をつけないスパイは、公の利益を確保できないとして社会的信用を失うのです。嘘は、スパイにとって最大の武器です。

スパイの嘘を取り巻く環境の変化
スパイが嘘をついて仕事をこなし、公の利益を確保することで社会的信用を得ることは、近代諜報機関が成立して以来、変わらない本質です。また、スパイは古来より、一部の権力者の利益を確保するために嘘をついて仕事をこなしており、スパイと嘘は、人間社会の成立以来、切ってもきれない関係と言えます。
しかし、近代諜報機関が成立して100年余りが経過し、諜報活動のための嘘をめぐる状況は様変わりしています。その諜報活動は、二度の世界大戦や東西冷戦の中、情報が持つ重要性をまざまざと見せつけた反面、社会的なルールや倫理を超えて、国民に不安を与えるほど強権的に行われることもありました。これは、国家と国民の利益と平穏を脅かす国際的な対立や紛争が激化していた頃は、黙認されがちでしたが、世界大戦が終わり、国際紛争が沈静化し、そして東西対立が終わると、事情は一変します。
平和で安定した時代においては、強権的に情報を入手してまで国家と国民の利益と平穏を守る必要性が低下します。一方、強権的な諜報活動に対しては国民の厳しい目が注がれるようになり、近代国家は、諜報活動に対する人員と権限を縮小させることで国民からの信用を確保しようとします。さらに、戦時に悪化した国家財政の立て直しを図るため、諜報活動に対する予算を削減しようとします。
皮肉なことに、戦時下において国家と国民の利益と平穏を守ろうとした諜報機関は、平和と安定の時代が成就されると、一転して不要かつ不穏な存在とみなされてしまうのです。諜報活動には合法性や妥当性が求められるようになり、スパイが身分偽装のために創り上げる数々の嘘に対しても、社会的倫理に反していないかとの疑念すら投げかけられます。
本来、嘘をつくことは、社会一般に忌避されることですが、諜報機関に限っては、いかに洗練されたばれない嘘をつくことができるかが求められています。たとえ平和と安定の時代が成就されても、スパイは依然として身分偽装のために嘘をつかなければ、敵対者から情報を入手することなど不可能です。公の利益を確保するための諜報活動において、スパイの嘘の必要性は不変ですが、平和と安定の時代においては国民から必ずしも歓迎されず、むしろ不要かつ有害とすら認識されかねないのです。

嘘をつく必要がありながら監視や批判も甘受しなければならないスパイの自縄自縛
黄昏が諜報活動で活躍する時代は、現実の米ソ冷戦と類似した東西対立が発生しており、いつ世界大戦に発展するか不透明な情勢下です。黄昏は、世界大戦という最悪の事態を避けるために敵国に潜入し、数々の嘘をついて身分偽装に努め、対象者デズモンドとの接触を図り、情報を引き出そうとしています。黄昏が嘘をつくに当たっては、世界平和を果たす任務達成のために不可欠と意識しており、社的倫理に反することなど意に介していません。そんなことを気にしていたら、偽装活動に支障が生じて、任務自体が続行不能になりかねません。
スパイは、意図的に確信的にそして恣意的に嘘をつくことが任務で求められます。警戒心の強い敵対者に対しては、中途半端な嘘ほど危険なものはありません。日常的に嘘をつくことが訓練として必要であり、スーパースパイともなると呼吸するかのように嘘をつくようになります。スパイにとって、嘘は一種の技術であり、故に無数の訓練と実践を重ねることで、いかにも事実であるかのような効果的な嘘をつくことができます。むしろ、嘘が上達しないスパイは、組織から諜報能力が低いと評価され、現場から引き上げられてしまいます。
しかし、スパイは、職人芸のごとき洗練させた嘘を、自由自在につくことができなくなりつつあります。財政立て直しに取り組む近代国家は、隙があれば諜報機関の人員と権限を縮小させようとし、国民は、諜報機関の不正に監視の目を注いでいます。スパイが不法かつ不正な嘘をついたとみなされれば、国家と国民からの責任追及を免れないでしょう。
嘘は、スパイにとって最大の武器であり、同時に最大の弱点ともなりました。全てのスパイは、命懸けの諜報活動において、公の利益のためにどこまでの嘘が許されるかという板挟みを強いられざるを得ないのです。

以 上







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