第02話003:四六時中にわたるスパイの観察眼と情報収集力(SPY-EN008)
スパイの任務に勤務時間も休暇も存在しない
黄昏は、娘役アーニャに上流家庭の子息に相応しい洋服を用意するため、アーニャを連れて仕立て屋に向かいます。アーニャの採寸が行われている間、黄昏は、スパイならではの観察眼を発揮して、仕立て屋の店内の様子を窺います。その際、情報屋フランキーが調達した妻役候補者リストを思い浮かべ、店内にその中の候補者がいることを確認しつつ、その適性を見極めては評価を下していきます。
こうして常時、観察眼を働かせて周囲の情報を収集することは、黄昏のみならず、スパイであれば当然と言うべき素養です。極論すれば、スパイは、スパイの仕事に就いたその日から、四六時中、情報に触れ続ける訓練を繰り返すことになり、これは、勤務時間外であろうが休暇中であろうが例外はありません。そもそも、スパイの任務中においては、勤務時間も休暇もあり得ず、実態としては、24時間働き続けると言って過言ではありません。
たとえスパイが勤務時間内で仕事を終えたり、休暇中は一切の労働から解放されるとしても、身分偽装から解放されることはありません。スパイの身分偽装を見破ろうとする敵対者や防諜機関は、24時間にわたっていついかなる場所でも、監視の目を光らせています。勤務時間外や休暇中だからといって、身分偽装を解くわけにはいかないのです。
極論すれば、スパイはスパイとして一旦仕事を始めたら、退職するまで勤務時間も休暇もなく、仕事を忘れることができないことを意味します。それどころか、退職後であっても、敵対者から接触を受けて、協力者になるよう工作を仕掛けられる可能性が否定できません。実際、2020年には、米国中央情報局(CIA)の退職者アレクサンダー・ユク・チン・マーが、退職後に中国へ機密情報を提供していたとして逮捕されています。
(以下外部リンクとなります)

こうした報道から、CIA退職者が中国から機密情報を引き出すため、諜報工作の対象の一つになっているとみられ、スパイは、退職後であっても警戒が求められるわけです。故に、スパイという仕事に一度でも就いたら、この世を去るまで、スパイとしての勤務時間から解放されないことを意味します。現代風に言えば、スパイは究極のブラック労働と言えるかもしれません。

究極のブラック労働を持続可能とする構造
スパイがこうして究極のブラック労働にあるならば、労働の限界をどのように克服しているのでしょうか。
人間の労働には時間的にも体力的にも必ず限界があります。近代における一般的な労働法令は、労働時間の合間には休憩と食事が必要であり、1週間のうち少なくとも数日を休暇に充てることを求めています。これは、古代から近代に至るまで、人間が世界各地で様々な労働に携わり、様々な結果が生じることで得られた功績と教訓の賜物です。しかし、古代から存在するスパイという仕事には、こうした功績と教訓が十分に生かされているとは言えません。
つまり、スパイは、任務が始まれば24時間労働と無休が課されますから、これに対応するよう耐性を付けることになります。そして、耐性を付けるためのコツとしては、自動車やパソコンに仕様とされるアイドリングのように、エンジンやCPUを機能停止させながらも、いついかなる時も瞬時に、機能再開できるような状態を維持するのです。動物に例えると、猫の習性に近いです。猫は一日の大半を睡眠に充てますが、熟睡するのではなく、浅い眠りを繰り返しているに過ぎず、周囲に異変を感じると直ちに全力で動作します。
故に、任務中のスパイは、働いているのか、休んでいるのか分からない曖昧な労働と休暇を常態化させているのです。そして、周囲に、任務を中断させかねないような異状を感じたら、即座に対応できるよう警戒を完全に解いていません。

スパイになることは、人生全体に非公開、秘密、秘匿など特殊な刻印を打たれることに近い。一度スパイになって任務を達成すれば、もはや後戻りできない道へ踏み込むも同然だよ。その道のりはこの世を退くまで続く。スパイたちは、この重荷を平然と背負い、生きているんだ。

ガクガクブルブル・・・そんなに大ごとだったなんて・・・スパイになる前に教えてくださいよ~
常にスパイとして働き続けることで鍛え上げられる観察眼と情報収集
スパイは、任務中、事実上不眠不休で働き続けることは、それだけスパイとしてのスキルや経験が半ば恒常的に鍛え続けられることも同時に意味します。
労働法令は、人間の労働時間を一日当たり8時間に制限するよう定めていますが、仮に、睡眠、食事、排泄、入浴など生活に必要最低限の時間を除いて、全てを労働に捧げることができたらどうなるでしょう。生活の大部分を労働に捧げるとすれば、それは、一般的な労働量を二倍相当にまで増やすことができます。
スパイは、これほどの労働量を全て情報収集に充てているとしたら、収集される情報の量も単純に二倍相当に達することが見込まれます。就寝時間を除いて、生活しようが労働しようが関係なく、むしろ働いているのか、休んでいるのか分からない状態で情報収集しているとしたら、どうでしょう。黄昏が仕立て屋に赴いて、手持ち無沙汰にしている間ですら、周囲を観察して情報を集めては分析を繰り返すことが、ごく自然なことと理解できるでしょう。黄昏も、「ストリクス」作戦に至るまでの数々の任務を遂行する中で、事実上不眠不休で周囲の観察と情報収集を繰り返しているはずです。もはや常人では到底叶わないくらい鍛え上げられた観察眼と情報収集力を有しているでしょう。
そして、この観察眼と情報収集力は、身分偽装する上で有効に働きます。

黄昏の観察眼と情報収集力が探知した微かな異変
結果的に、黄昏は、仕立て屋で、偶然接触した妻役候補者の一人であるヨルと立ち話を交わします。そのきっかけになったのは、仕立て屋の店内で自然と観察眼を働かせていたところ、異質ともいえる情報を嗅ぎつけたためです。黄昏の背後に何者かが、特段の情報を振り撒くことなく、立っていたことです。
それは、周囲の様子を観察し続けて、微かな情報ですら探知できる黄昏の情報収集力を潜り抜けたことを意味します。スパイに言わせると、人間は、徒歩を含むあらゆる身体的な動作に独特のクセを持っており、例えば足音がその一例です。実は、足音の大きさ、リズム、間隔などは、人それぞれ微かに異なっており、これは、生活習慣の中で自然に備わっていく独特なクセであるため、情報の一つとして捉えることが可能です。
スパイは新人時代において、こうした身体的な動作に備わった自分独特のクセを修正する訓練を受けます。どれほど別人になりすまそうとも、姿形から公的書類に至るまで身分偽装しても、身体的な動作が独特のクセを周囲に見せびらかしては、見破られる余地が生じてしまうからです。逆に言えば、スパイは、他人のこうした身体的な独特のクセを情報の一つとして、収集できるよう訓練します。
故に、黄昏のように一流のエージェントともなれば、自らの周囲に一瞬でも、何かしらの身体的な動作をする者がいれば、察知できるはずなのです。しかし、黄昏は、自らの背後から、ヨルの接近を探知できませんでした。こうした小さな異状こそ、黄昏にある種の警戒心を発生させるとともに、異状の原因に関心を持つことになったのです。
そして、異状の原因となった者の身辺情報を記憶の中から手繰り寄せるのです。
Ⓒ『SPY×FAMILY』制作委員会・『SPY×FAMILY』第02話より引用
「一度目は偶然、二度目は必然、三度目は悪意」
黄昏は、異状の原因を自らの油断と疑い、気が緩んでいると考えて、突如発生した自らの警戒心と関心を一旦受け流そうとします。
俗に、「一度目は偶然、二度目は奇跡、三度目は必然、四度目は運命」とあります。一度出会っただけであれば偶然に過ぎないが、それが何度か続くことで何らかの意味がある。そして、その意味の内容が変わるという人の出会いを表現したある種の格言として知られています。
この格言は、スパイの間でも知られていますが、スパイは、敵対者への警戒を絶やすことがない仕事です。このため、少々意味合いが変わっており、「一度目は偶然、二度目は必然、三度目は悪意」などと言われます(参考資料:ピーター・アーネスト等著『最強のスパイ仕事術』)。
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www.amazon.co.jpから引用
スパイのように、四六時中にわたり情報へのアンテナを張って生きていますと、それだけ無数の情報を探知することになります。時には、ありふれた日常的な出来事にしか過ぎないことにまで警戒してしまうようになります。例えば、道を歩いていれば、偶然、すれ違う通行人と視線が合うことは珍しくありません。公衆トイレに入れば偶然、すぐ横に他の利用者が立って用を足すことも珍しくありません。周囲の情報を事細かく収集してしまうことで、こうしたありふれた出来事ですら、何らかの意味合いを求めがちになってしまいます。
故に、スパイは、一度目に過ぎない出来事は偶然に過ぎないと自分自身に言い聞かせなければならないこともあります。黄昏の場合も、気配を消して背後を取られたことに一度は、警戒心と関心を持ちましたが、あくまでも一度に過ぎません。このため、これは自らの油断と疑い、気が緩んでいると考えたのは、スパイの思考としては一般的なものです。
しかし、こうした黄昏の見方を裏切って、同じような出来事が再び起きてしまいます。

「あの・・・さきほどからジロジロと・・・何かご用ですか」、「バカな・・・視線まで気取られただと・・・」(『SPY×FAMILY』第02話より引用)
黄昏は、観察眼と情報収集力をめまぐるしく働かせながらも、背後にいる人物、おそらく声や仕草などからして若い女性に対し、わずかに首を振り向かせつつも背中は向けたままです。そのままの姿勢で、背後の人物から発せられる微かな情報を探知し、その言動を探っていました。
スパイは、常に周囲の情報に目配りをすることで、自分自身がどのような状況下にあるか、異状を示す事象が存在するか、自らの任務に関係する事象が存在するかなど、把握しようとしています。こうしたスパイにとってありふれた関心の一つとしては、自分自身を尾行する者がいないかということです。尾行者の存在に気がつかないまま、自宅に戻ったり、情報源に会いに行けば、自宅や情報網が敵対者に知られるおそれがあります。
このため、尾行者を切る、つまり尾行者がいたら、これ以上尾行を続行できないよう妨害する必要があります。そこでスパイは、尾行者の発見と妨害を行うにあたり、背後を振り向いたり、視線を背後に向けないようにしつつ、背後の様子を確かめる手法を身につけています。ありふれた手法としては、デパートや店舗のショーウインドウの前に立って、そこに鏡のように映った背後の様子を確認するものです。こうした目視による確認ばかりではなく、未舗装の砂利道を歩くことで、背後から足音が聞こえてくるかという聴覚による確認もあります。
黄昏は、背後を振り向くことなく、背後の様子を探っていましたが、これを背後の女性とみられる者に勘付かれました。背後を取られた上に、わずかに首を振り向かせた視線までも勘付かれた時点で、二度目が生じたのです。
Ⓒ『SPY×FAMILY』制作委員会・『SPY×FAMILY』第02話より引用
「綺麗な方だと思って」(『SPY×FAMILY』第02話より引用)
ここに至って、黄昏は、背後の女性をこれ以上見過ごすことをやめました。背後の女性に振り返ると、直ちにありふれた文言を返しつつ、背後の異状を正面から情報収集します。
背後の女性、つまり後に、黄昏の妻役に選定されるヨルは、作中の設定で「殺し屋」とされます。このため、黄昏に勝るとも劣らない裏社会の住人であり、黄昏と同様、一般人の及びつかない訓練を受けています。黄昏の観察眼と情報収集力をすり抜けて、黄昏に異状を自覚させるには十分な理由でしょう。
黄昏は、ヨルから感じた異状を元にして、仕立て屋の外で立ち話することになります。そして、ヨルの身の上話や悩み事を把握することで、ヨルを妻役に選定しました。そして、ヨルの同僚のパーティーで恋人役を務めるという約束を了解しました。その見返りとして、ヨルに自らの妻役を務めるよう約束させました。
Ⓒ『SPY×FAMILY』制作委員会・『SPY×FAMILY』第02話より引用
「あっ・・・すいません。素人の私が勝手に治療を・・・」、「実は私、護身術とか得意で・・・」(『SPY×FAMILY』第02話より引用)
黄昏は、約束のパーティーでヨルと同伴した後、共に帰途につきますが、別任務で片付け損ねた残党から不意打ちを受けてしまいます。そして、襲いくる暴漢の攻撃をかわせないと覚悟した瞬間、傍にいたヨルが暴漢の一人を足蹴りにします。あっという間に吹っ飛んでいく暴漢。
ヨルの予想もつかない行動に、驚きを隠せない黄昏ですが、笑顔になってお礼を言います。ただ、ヨルの新たな異状に対しては、観察眼と情報収集力が機能した形跡が見られません。これは、スパイの観察眼と情報収集力にすれば、大の男を女性が一撃で吹き飛ばすなど、護身術の範疇に収まるはずがないと判断できるはずです。ましてや一流のエージェントであり、仕立て屋からヨルの複数の微かな異状を見逃さなかった黄昏からして、ヨルの体術が異状に映らないことなど考えにくいでしょう。
これは、本作を通じて言えることですが、ヨルの「殺し屋」にまつわる特殊な言動や行動は、例外なく、黄昏の観察眼と情報収集力をすり抜けてしまい、結果として、ヨルの仕事が黄昏の知るところになりません。この点こそ、本作がスパイエンタメである最大の要素の一つであり、黄昏もヨルも互いの仕事を知ることがないようストーリー上で配慮しなければならないためでしょう。
本作においては、スパイとしてリアリティーのある要素が散りばめられている一方、「情報屋」や派手なアクションなど典型的な「スパイないない」も存在しています。結果として、黄昏の観察眼と情報収集力というスパイとしてリアリティーある描写があればこそ、黄昏がヨルの仕事に一向に気づかないという「スパイないない」が際立つ展開となっています。同じ意味で、黄昏は、娘役アーニャの読心術にも一向に気づく様子が見られません。
これは、ストーリの展開と設定上、黄昏の観察眼と情報収集力が、アーニャとヨルの秘密に向いて見破ってしまうことを避ける必要があるとの作者判断によるものでしょう。したがって、本作は、スパイのリアリティーとエンタメが整合しつつも時に矛盾するという点で、スパイエンタメとして斬新な要素を有すると言えるでしょう。
Ⓒ『SPY×FAMILY』制作委員会・『SPY×FAMILY』第02話より引用
以 上







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