総論001:スパイエンタメと無縁で問題なかった諜報機関(SPY-EN004)
スパイエンタメに対する諜報機関の見方とは
スパイエンタメと諜報機関は、スパイ(諜報員)という概念において共通点がありますが、双方の間には何らの影響も及ぼされておらず、一切の作用がないのでしょうか。
実は、スパイエンタメが断続的に制作され、その中のいくつかが好評を博して多くの耳目を集めるということは、諜報機関にとって有利な一面があります。その一つにやはり、諜報員という仕事が社会的に改めて認知されることで、諜報員志願者の増加が見込まれることでしょう。これは近年、諜報機関にとって顕著な傾向にあると考えられ、スパイエンタメの隆盛につれて諜報機関は幅広く諜報員候補者を採用することが可能になっていきます。
元来、諜報機関は、自組織の諜報員(工作担当者又は分析担当者、一般用語で言う「スパイ」)を採用するに当たっては、一般公募を行なっておらず、その採用形態は専ら、縁故採用や選考採用に限定されていました。例えば、自組織の諜報員の子弟を縁故採用したり、諜報員による協力者獲得工作の過程で諜報活動に適性があると判断された人材(主に情報提供者や協力者)を選考採用したりします。実は、諜報活動においては、情報提供者や協力者を獲得するばかりでなく、併せて諜報員候補者のリクルートも並行して行われているのです。
諜報員の採用形態はこうして一般に公開されず、非公開で行われてきましたが、これは、諜報員を採用するに当たって、その候補者の背景に敵対組織との関係性が常に疑われていたからです。仮に、一般公募の形態で諜報員を募集すれば、その中には、敵対組織がスパイを送り込んでくる可能性が否定できません。この点、縁故採用であれば、そもそも自組織に長年勤務して一定の信用のある諜報員の子弟という訳ですから、敵対組織が送り込んできたという可能性が最小限になります。また、選考採用であっても、諜報員が長年にわたって運営してきた協力者となりますので、敵対組織との関係性を疑う必要は必ずしもありません。
故に、スパイエンタメによって、スパイが社会的に改めて認知されても、諜報機関の採用活動には影響を及ぼさないはずでした。

時代の変化に影響される諜報機関の裏事情
しかし、諜報機関もまた政府機関の一つであり、政府を取り巻く環境の変化からの影響を免れることはできません。近代諜報機関の始祖とされる英国秘密諜報部(MI6)は、その源流を20世紀初頭にまで遡りますが、当時、諜報機関とその諜報活動は、徹底的に秘密にすべきという理念に基づいていました。MI6の源流が創設されてから間もなく、第一次政界大戦が勃発し、軍事活動における諜報活動の重要性が明らかになると、第二次世界大戦前後には、世界各地で諜報機関が相次いで創設されます。
諜報機関は、戦時下における諜報活動を通じて活動範囲を拡大させるとともに、その活動内容は、軍事機密と同様のレベルで非公開にされてきました。こうした秘匿性を前提として諜報活動が展開されることで、公開されないことによる諜報機関の様々な逸脱行為もまた顕著になっていきました。

諜報機関の権限と活動に対する法的曖昧さ
そもそも、諜報機関は歴史的に、警察をはじめとする法執行機関と異なり、その権限や活動を規定して制限する法的枠組みに乏しいという特徴があります。要するに、諜報活動の権限と活動に関する法的文言は全般的に曖昧にされており、この曖昧さ故に、諜報機関の権限や活動には特段の制限が設けられないという実態が生じます。
例えば、諜報機関の所掌権限を法律で定める場合、端的に「必要な情報収集や調査を任意に行うことができる」などと定められているに過ぎず、一言で「できる」と言っても具体的に何ができるのか、つまりいかなる権限を有しているかが明確にされません。さらに、飽くまでも「任意」であるとして、権限行使上の相手からの同意無くして、権限行使できないとされています。
これが警察などの法執行機関の場合、例えば、警察官職務執行法、刑事訴訟法など手続き法が定められ、職務質問の場合は「警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者を停止させて質問することができる」(警察官職務執行法第2条)と、強制権限の執行手続きが具体的に定められています。同時に、「前二項に規定する者は、刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され、又はその意に反して警察署、派出所若しくは駐在所に連行され、若しくは答弁を強要されることはない」(同2条3項)と、強制権限に対する規制も定められています。
諜報機関は、権限の所在のみならずその規制も曖昧にされており、相手の任意に従う限りにおいては事実上、制限が課されていないことになります。これは、公衆の目に留まるように治安活動を行う法執行機関と異なり、非公然活動を行う諜報機関にとって、権限行使における対外的な説明を免れることが可能という点で、都合の良い枠組みといえます。諜報機関は、こうした法的枠組を最大限利用して、諜報活動を思いのままに展開してきました。

国内諜報機関の逸脱と暴走事例
しかし、権限の所在も規制も曖昧な諜報活動は歴史的に、諜報員に対して「公にならないならば何をしてもよい」という意識の緩みを植え付けることにもなります。
例えば、日本の場合、戦前の「特別高等警察」(特高警察)が挙げられるでしょう。特高警察は元々、法執行機関である警察組織の一部から派生しながらも、やがて内務省の権限介入によって法執行機関としての権限規制をすり抜け、社会運動に対する情報収集を主体とする諜報活動に従事するようになりました。戦前の日本には、海外諜報活動を受け持つ「陸軍中野学校」に対応して、国内諜報活動を取り仕切る特高警察という二つの諜報機関の図式が存在していたわけです。
特高警察の諜報活動は、小林多喜二ら反政府社会運動メンバーに対する過酷な尋問に見られるように、権限規制に乏しく、令状無き身柄拘束や政府批判への言論弾圧など多岐にわたりました。ゾルゲ事件を摘発するなど功績を挙げたものの、国民生活にとっては、自分がいついかなる場合に特高警察の捜査対象になるかわからないという恐怖と不安をもたらすことにもなりました。特高警察は、日本の敗戦後間も無くして廃止されましたが、共産主義運動が高まると、その一部人員は、戦後改変された複数の治安機関に復帰しており、その源流は戦後の数十年にわたって、日本の諜報機関に受け継がれていきました。
こうした源流に基づいて、戦後しばらくの間は、諜報機関による法的な枠組みからの逸脱と暴走が残り続けました。戦後直後から発生した共産主義運動においては、治安維持の観点から、特高警察の源流を受け継ぐ諜報機関の諜報活動が必要とされたためです。過激派や共産主義勢力に対しては非公然に、戦前の水準と変わらないほど苛烈な諜報活動が行われました。
そして、1960年の日米安全保障条約の改定を機に反対運動が各地で広がると、諜報機関は次々と増員されていきます。特高警察という戦前の反省を生かして、諜報活動に対する法的枠組による規制が設けられる中、これに逆行するように治安維持においては、諜報機関の活動強化が迫られていたのです。こうした流れは、1989年に東西冷戦の終結が宣言されるまで続きました。

海外諜報機関の逸脱と暴走事例
海外においても、同種の諜報機関の暴走が散見されます。東西冷戦が終結すると、各国の諜報機関は、東西対立という治安維持における主要な仮想敵を見失い、諜報活動の対象を消失させてしまいます。
世界は、冷戦下のような主義思想の暴力的な衝突に対応した治安維持を必要としなくなり、仮想敵を見失った諜報機関に対し、人員、予算及び権限の縮小に取り組んでいきます。諜報機関は、政府や国民から徐々に必要とされない存在となり、その存在意義をめぐって迷走する時代に突入しました。こうした中、諜報機関は、治安維持以外の分野にまで活動範囲を広げることで、政府内における存在意義をアピールしようとします。
例えば、1980年代以降、日本と米国との間で貿易収支の不均衡が顕著となっていましたが、米国中央情報局(CIA)は、これに目をつけたのです。冷戦終了後の1990年代には、CIAが日本政府内部の情報のやり取りを通信傍受していたことが、2014年のスノーデン事件によって明るみに出ています。こうした通信傍受は、日本以外の友好国に対しても向けられていたとされており、諜報機関が治安維持に向けた情報収集ばかりでなく、経済問題にまで介入するという逸脱と暴走が明らかになりました。
さらに、2001年には、米国同時多発テロが発生すると、CIAは東西冷戦の終結以降初めて、治安維持に向けた諜報活動を本格化させます。そして、旧フセイン・イラク政権による国際テロ組織「アルカイダ」(AQ)への支援があるとともに、フセイン政権が無差別大量破壊兵器を有しており、これがテロリストの手にわたる可能性があると分析しました。この分析に基づき、米国はイラクに進攻して同政権を崩壊させましたが、後になってこれは誤りであり、支援を示す証拠がなく、無差別大量破壊兵器が存在するのは憶測に過ぎないことが判明しました。
CIAは、第二次世界大戦後、米国情報コミュニティーの中核的な存在として米国の対外諜報活動を展開してきましたが、結果的に、中東地域における安定の要であるフセイン政権を崩壊させ、地域情勢の不安定化を招いてしまいました。イラクは、①シーア派、②スンニ派及び③クルド自治区という3つの主要勢力で構成されており、これらを束ねていた政権が消滅したことで、米国の占領政策を経てもなお、以前のような安定を取り戻していません。
CIAによる数々の逸脱や過ちは、世界中に諜報機関の暴走を印象付けてしまい、各地で行われている諜報活動を従前と同様の水準で国民から秘匿することが困難となる契機を作ったという点で、諜報機関にとって歴史的転換となりました。これ以後、国民に対して説明できる合法妥当な諜報活動が求められるようになったのです。

諜報機関の旧態依然とした秘匿意識
諜報機関の暴走が決定的になると、各国の諜報機関は、国民に開かれた政府機関というイメージを模索する必要に迫られました。もはや、旧世紀のように「公にならないならば何をしてもよい」とはいかず、諜報活動に対しても国民に説明できる合法性や妥当性を考慮する必要が生じたのです。
諜報機関はかねてより、組織の活動どころか、その存在自体がマスメディアに報道されることすら忌避してきました。諜報機関内部では、自分たちを「潜水艦」になぞらえて、あらゆる場合でも自らの存在を外部に出してはならないとすらまことしやかに囁かれてきました。秘匿性の維持は、諜報機関にとって最優先事項であり、諜報機関の存在や活動を国民に説明するなど到底あり得ないという認識でした。
こうした認識は、諜報機関による数々の暴走を経て、変化を余儀なくされています。日本においても、2000年代に入って以降、行政手続きや情報公開など行政活動の透明化が法整備されていき、国内諜報機関は、この流れに逆らうことができず、公共の安全の維持に支障が生じない限り、説明と情報公開を求められるようになりました。
近代諜報機関は、MI6の源流が創設されてから約100年を経て、その存在意義を揺るがされ、従来までの前提を覆すような変化を強いられることになったのです。

スパイとは、古来より存在していた伝統ある仕事だけれど、近代民主主義においては、飽くまでも公に対する奉仕者に過ぎない。社会環境の変化に応じて、諜報機関と諜報活動は、秘匿性の維持という大前提まで修正を余儀なくされた歴史があるんだよ。

スパイって、情報収集のために秘密を守りながらも、説明が求められる部分については公開しなければならないなんて、これは秘密と公表という真逆の作用を同時にやることになりませんか!?思ったよりも大変な仕事なんだな・・・
以 上



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